FUKUROKO-JI

興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりするブログです






Sayoko-daisy インタビュー #1

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Sayoko-daisy Official Website(http://lazydais3.wix.com/sayoko-daisy

 

 それは僕が初めてジャンゴ(奈良市にあるレコード店)を訪ねたときのことだった。'90年代にタイムスリップしたような錯覚を起こさせる店内でひと通り物色したあと、ふと壁に目をやると、リンゴとパイナップルが並ぶ鮮やかなジャケットが飛び込んできた。

「これ、どういう感じなんですか」

 僕の短い問いかけは、店長である松田さんのレコ屋魂に火を灯すのに充分だった。彼はその後数分間、ほとんど隙間なく喋り続け、その1000円のCDについて教えてくれた。頭を巡らせ、1から10まで、ともすれば10以上のことまで話そうとするその表情は、本当にキラキラと輝いていて、それだけで買う値打ちがあるとさえ思えた。

「ほとんどウチにしか置いていないんですけど、もう100枚は売れたんじゃないかなあ」

 恐らく殺し文句なのであろう、彼のそのフレーズを聞くより早く、僕の右手は『tourist in the room』を握っていた。

 それが僕とSayoko-daisyとの出会いだ。

 

 個人的に興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりする当ブログ『FUKUROKO-JI』。前回のウワノソラに続いて話を訊いたのは、三重県在住の宅録主婦、Sayoko-daisyだ。小学生の頃から作編曲を嗜んでいたという彼女が、楽曲をインターネット上に公開し始めたのは2012年のこと。前述のジャンゴ店長の松田さんの勧めもあって、同年12月に1stミニ・アルバム『tourist in the room』を、翌2013年8月には2ndミニ・アルバム『Need them but fear them』をそれぞれリリースした。その後はカヴァー曲集『drop in』の配信やライヴ活動を経て、当記事公開当日の2014年12月17日に、初の流通盤となる1stフル・アルバム『ノーマル・ポジション』をリリースした。

 

 僕が彼女の存在を知ったのはつい最近のことで、まさに冒頭のような出会いがあったわけだが、何より一番惹かれたのが『tourist in the room』収録の「Hangetsu-No-Machi」だった。再生と同時に流れるぼんやりとしたシンセサイザーの音色を聴いた、そのほんの1秒足らずの間に、すっかりとろけてしまったのだ。

 

 

続けざまに『Need them but fear them』を聴き、ぐにゃりと曲がってしまった自分の身体に鞭打って彼女のホームページをチェックすると、なんと近々リリースの予定があるという。そこからインタビューの依頼を出すまではごく自然な流れだった。

 

 今回は、去る12月5日に奈良市で行なった彼女のインタビューを、数回にわたってお届けする。彼女のホームページには、彼女自身による『ノーマル・ポジション』収録曲の解説や、松永良平氏を始めとする面々によるレビューなどが掲載されている。当インタビューもそれらを参考にして構成しているので、是非お買い求めの『ノーマル・ポジション』と合わせてお楽しみいただきたい。

  

 

歌は嫌いでしたね。自分の声だけ浮いて聴こえるから嫌だったんです。

 

──小学生の頃から作曲をされていたということですが、具体的にはいつ頃ですか?

 

Sayoko-daisy(以下:S):生まれて初めて曲を作ったのが8歳ですね。ヤマハの音楽教室にエレクトーンを習いに行っていて、その教室でソルフェージュという、メロディーにコードを付けるとか、そういう簡単な楽譜の書き方を習ったんです。ヤマハは子供のオリジナル曲コンテストみたいなイベントを毎年やっていて、それに出すために嫌々作ったんですけど、教室から1人代表を選ぶというのに選ばれて、親に褒められたんですよ。

 

──それはどういう曲だったんでしょう。

 

S:もうどうしようもない、取るに足らない感じの曲でした。ピアノで作ったんですけど、私が作ったのはモチーフだけで、先生が付きっきりで曲として成立するように直してくれたんです。そこでアレンジっていう、そういう仕事があるんやって認識して。

 

──それをきっかけにずっと曲作りをしていた。

 

S:いや、なんかこう、小学校高学年くらいのピアノを辞めたくなる頃ってあるじゃないですか。練習が嫌になってくるっていう。楽譜通りに弾くのがすごく嫌だったんですよ。間違うと怒られるし。でも自分で作った曲なら自分の好きなように弾けるじゃないですか(笑)。ちょうどポップスとかを聴き始めたのも小学5~6年生くらいで、肩肘張ったクラシックよりは、普通に売れている曲とかをやりたいと思うようになって、それがきっかけで自分で編曲をしようと思ったんです。作曲じゃなくて編曲の方に最初に興味を持ったんですよね。

 ちょうどその頃ヤマハで習っていた先生が独立されて、個人でピアノ教室をやるからおいでって誘われて通っていたんですけど、「私は編曲を勉強したいんで辞めます」って言ったら、「ウチで教えます!」っていう言葉が返ってきたんですよね。よくよく尋ねてみるとその先生はポップスの専門学校を出ていて、しかも、旦那さんがパイプオルガン奏者なんですが実はめちゃくちゃビートルズ・マニアで、学生のときにバンドとかをやっていた人だから、ある程度は教えられるって言われて。そこで簡単な編曲を習っているうちに、徐々にポップスに移行していったんです。

 

──それはどういう授業だったんですか? 

 

S:一番最初に習ったのはブルース進行でしたね。あと、先生がメロディーだけを書いた楽譜を渡してきて、「伴奏を付けてきなさい」って宿題があって、その課題曲がポール・モーリアとかなんですよ(笑)。授業は楽しかったですね。小学校の5~6年生から中学校の2年くらいまで習っていました。最後は先生に教えてもらうだけじゃ物足りなくなって辞めちゃったんですけどね。

 

──じゃあ高校に上がるくらいには自力で曲を作るようになっていた。

 

S:自分で本を買って勉強したり、カセットテープに録音したりしていましたね。カセットにまずベースを入れて、そのカセットを別のデッキで再生しながらオルガンを録音する、みたいな。ずっと重ね録りを続けて、最終的に歌……歌は嫌いだったのでインストだったんですけど、デッキ2台で多重録音をして遊んでいました。楽器はずっとピアノを弾いていたんですけど、家を引っ越したときに売られてしまったんです。それで手元にある鍵盤楽器がオモチャみたいなカシオトーンだけになっちゃって、中学3年の頃はその一台とカセットデッキでやってましたね。高校の入学祝いでシンセサイザーを買ってもらってからは、シンセで打ち込みというのを……打ち込みという手法はもうその頃には知り始めていたし、YMOも当然知っていたんですよね。

 

──さっきチラリとお話が出たんですが、その頃は歌が嫌いだったんですか。

 

S:歌は大嫌いでしたね。

 

──歌うことが?

 

S:自分は歌が下手だと思っていました。決定的に音痴ではないんですけど、他の女の子たちと歌うと自分の声だけ浮いて聴こえるから嫌だったんですよ。なんというか、お母さんの声と一緒やし(苦笑)。テレビを観ていたらキーボードやギターを弾きながら歌う人がカッコいいから自分も真似しようとするけど、やっぱり思うような歌にならないんですよね。その頃は小室ファミリーとか、MISIAとかUAとか、R&B的な人が出てきていて、皆めちゃくちゃ歌唱力があるじゃないですか。どうしても自分が歌うとふにゃふにゃしちゃって、ああいう歌い方が出来なかったんですよ。でも他に歌える人もいなかったので、歌の入った曲を作るときは自分で仕方なしに歌っていました。

 

──それが一転して、17歳のときにヴォーカルとしてバンドに参加されていたんですよね。そのときはなぜ「歌ってもいいかな」と思えたんですか?

 

S:あれはYMO好きのサークルみたいなのがあって……。

 

──高校でですか?

 

S:いや、オトナの人ばっかりです。20歳くらい年上の人ばっかり。周りにYMOファンが居なくて寂しいから、個人情報誌みたいなのを使って文通で情報交換したりしていて、それで知り合った奈良の人がトラック・メイカーだったんです。私が高校で演劇部に入っていたのもあって、その人に「ナレーション的なものを曲にのせて欲しい」って誘われたんですよね。喋るつもりで行ったんですけど、いざ行ってみたら歌になってて。下手だから歌いたくはないんですけど、年上の人やし、「下手なのがイイ!」みたいに言われて歌いました。世の中にはヘタウマと呼ばれるものがあるじゃないですか。ちょうどその人に教えてもらったのがルー・リードとか、歌自体はそんなに上手くはないけど(苦笑)、でも味があって、こう歌う人もいるんやって。それでだんだん歌うことに慣れていったんです。でも基本的に今でもあまり歌は歌いたくないですよ(笑)。

 

そこから10年近く音楽活動を休んで、2012年にまた再開されるわけですが、その間の10年は自分で音楽を作るということにほとんど触れなかったんでしょうか。

 

S:うーん……。自分の結婚式で自分の曲を歌ったり、後は宴会芸みたいなことですね。私はブログをやっているんですけど、タイトルの『Party performance』っていうのは日本語で『宴会芸』なんですよ。パーティー的なものに呼ばれて、私が楽器を弾いたり曲を作ったりしていたことを知ってる人から「何かやって」って言われたときに「じゃあ曲を作りますか」と。3年に1回くらいのペースでやっていました。

 

──その頃から曲は打ち込みだったんですか?

 

S:そのときもまだシンセ1台、だから高校生の頃と全く同じスタイルですね。知り合いに音響をやっている人が居て、お下がりのマイクとMTRをもらったので多少録音環境は良くなっていたんですけど、宴会でやるだけだからレコーディングはしていなかったんです。トラックだけを作って身一つで行ってカラオケみたいに歌うという感じでやっていて。

 

話は少し戻りますが、一番初めの音楽をやりたいって思った、ヤマハの音楽教室に通おうと思ったのはご自分の意思だったんですか?

 

S:いや、無理矢理連れて行かれました(笑)。

 

──じゃあ「音楽やりたい!」っていうのはその時点ではなかった?

 

S:なかったですね。でも、物心がついた頃からずっと音楽を聴いている子供だったらしいんですよ。歩く前からラジカセの前に座っている子だったらしくて、ずっと音楽を聴いて頭を振っていたんですって。そういうこともあって、「まあこの子は女の子やし」っていうことで連れて行かれたんです。幼稚園ぐらいの頃は歌ったりするのも好きでしたし、私立だったからマーチングバンドの真似事とかもあったんですけど、そういう皆で演奏するっていうこともすごく楽しくて。ピアノを習っている子供って、将来を尋ねられたらだいたい「ピアノの先生になる」って言うじゃないですか(笑)。そういう感じで「将来はピアニストになります」みたいなことは言っていたけど、本当に音楽でやっていきたい、そういう仕事に付きたいと思ったのは編曲に興味を持ちだした小学生5年生くらいからですね。

 

──編曲に興味を持ち始めた頃はどんな曲を聴いていたんでしょう。

 

S:わりと普通で、ミスチルとかを聴いてましたね。でも一番最初に「良い!」って思ったのは鈴木雅之だったんですよ。「こういう音楽ってどうやったら作れるんやろう」って初めて思ったんです。だから今も影響がずっと残っているのは鈴木雅之っていう。フフフ。鈴木雅之の曲を作っているのって山下達郎だったりするので、結果的に後で繋がってくるんですよね。

 

──後々になってそういう繋がりに気付くんですよね。

 

S:「これはあの人が作ってたのか」って。

 

──ちなみに、初めて買ったCDって覚えていらっしゃいますか?

 

S:それも鈴木雅之なんです。小学生の頃。『夢のまた夢』っていうシングルでしたね。確か小田和正プロデュースでした。当時は歌番組も多くて、全部録画して観るという感じで、小室哲哉とか、その頃流行っていたものはひと通り聴いていましたね。

 

例えば今名前が挙がった山下達郎とか、一つの曲からいろんな名前が見えてきた、繋がってきた時期はいつですか? 要はテレビで流れてきたものをただ聴いているだけではなくて、自分から掘り下げていくということを始めた時期のことです。

 

S:多分YMOを聴き始めたのが中学1年の頃なんですよ。坂本龍一がYMOの曲をピアノで弾いているライヴを偶然テレビで観たんです。「東風」とかをやっていて、すっごい「うわあ」ってなって、CDを買いに行ったんですけど、ソロでYMOの曲をやっているのは出していないんですよね(笑)。それでお母さんに訊いたら「坂本龍一ならYMOの曲かもしれない」って言われて。そこからYMOを聴き始めたんですけど、今みたいにインターネットもないし、親もメンバーが坂本龍一しかわからない人だったんで(笑)、とにかく情報がないんですよ。だからCD屋に通い詰めて再発が出たら買うとか、そういうことで情報を集めていました。譜面が欲しくて大阪まで買いに行ったらそこにディスコグラフィーが載っていて、それを見てCDを集めて、という感じでしたね。

 あるとき本屋に行ったら細野さんのインタビューが乗っているロック名盤ガイドみたいなのを見つけたんですよ。日本のロックが、それこそロカビリーとかの時代から、時系列で'90年代まで載っているのを見て、「はっぴいえんどっていうのがあるんや」「これは細野さんが絡んでいるんや」「山下達郎は普通にポップスで売れているけど、シュガー・ベイブというバンドをやっていた」とかっていうのを読んで覚えていって、買える範囲で買ったりレンタルで聴いたり。掘り下げるという感じになったのはその辺りからですね。

 

Sayoko-daisyさんはツイッターのプロフィールにも「細野さんは私のアイドル」って書かれているんですけど、それはその頃からずっとですか?

 

S:中学2年とか、そのくらいからですね。

 

──ちなみに、細野さんが参加されている作品で一番好きなのって何でしょう。

 

S:やっぱり『泰安洋行』ですね。初めて聴いたソロ・アルバムで、ジャケ買いだったんですよ。それまでイメージしていたYMOの世界から突然『泰安洋行』を聴くと、前情報が何もないのですごく衝撃で。最初は「何これ?」って思ったんですけど、中毒性が高くて何回も聴いちゃうみたいな感じでした。『tourist in the room』を作るときも「『泰安洋行』みたいなのを作りたい」って思って作ったんですよ。トロピカルな感じっていうか。細野さん風に言うとチャンキー、いろんな要素が突っ込んであるっていうのを自分もやりたいって思っていましたね。

 

もしもの話、当時自分の周りにYMOとかを好きな人がたくさん居たら、今のように打ち込みではなく、バンドをやっていたんでしょうか。

 

S:やっていたんじゃないかなあ。一度やろうとして中学生の頃に2人メンバーを集めたことがあるんですよ。ベース、ドラム、私がピアノという感じで。でもやっぱりバンドは難しいですよね。特にオリジナルをやろうとすると、結局曲を書く人がアレンジも譜面書きも全部やらないといけないじゃないですか。それがあんまり楽しくなくて。自分がやっているパートはピアノだから家でやっているのとあまり変わらないですしね。だから、本当にYMOが好きで好きでたまらない人たちが居て、シンセサイザーを持ち寄ってやれる環境だったら、バンドをやっていたんじゃないかと思いますけど。

 

なるほど……。余談なんですが、Sayoko-daisyさんの普段の生活が気になっていて。というのも、主婦をされているじゃないですか。主婦業と曲作りのバランスはどういった感じなんですか?

 

S:旦那が2日に1日しか家にいない、みたいな感じの変則的な勤務なんです。家を出たらそのまま泊まりで、会社で仮眠して、また働いて夕方帰ってくる、みたいな。週の半分は一人暮らしみたいな感じなんですよね。だからそんなに時間が取れないということもなくて、というか何かしていないと暇なんですよね(笑)。

  

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

 (便宜上下記はAmazonリンクですが、ジャンゴ福岡パークス室見川レコードでご購入の方には初回限定で特典のCD-Rが付属する、とのことです。)

 

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