FUKUROKO-JI

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ウワノソラ インタビュー #2

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インタビュー中にお邪魔した奈良のレコード店「ジャンゴ」にて。

 

 

──皆さん大学では音楽を専攻されていたということなんですが、大学の音楽学科というと、かなりその先に影響する進路じゃないですか。みなさんはどのタイミングで「音楽やりたい!」という気持ちになったんですか?

 

いえもと:(角谷さんに促されて)えっウチから?

角谷:いや、そういえば聴いたことないなと思って。

いえもと:……なんですかね。中学校から高校に上がる時に単純に「勉強したくないな」と思ったんですよね。高校ではいくつかコースが選べて、その中に音楽コースがあったんです。音楽の経験は小学校~中学校手前くらいまでピアノを習っていた程度なんですけど、まあ歌うのは好きやしって感じで音楽コースを選んで。で、大学どうしようかって時に、大学も歌で行こうと思って音楽学科に入ったんですよね。

角谷:僕は音楽家を目指していたというか、未だにわからないんです。もともと普通の大学に行って勉強しようと思っていたんですけど、高校を卒業してからの2年間は何もしていなかったんですよ。全てのやる気が起きなくなって。当時神奈川に住んでいたんですけど、もともと四国辺りに憧れていて、南の方に行きたいなっていうのはあったんです。そうしているうちに今の大学を見つけて入学したんですけど、最初は2年くらいで神奈川に帰ってもう一回やりなおそうと思ってたんですよ。そしたら今まで居続けちゃったという(笑)。ガッツリ音楽で行くぜって気持ちは全然なかったですね。

 

──桶田さんはいつごろ音楽をやろうと思ったんですか?

 

桶田:中学2年くらいですね。僕がめちゃくちゃ小さい頃から、アングラフォーク、中川イサトさんとか、西岡恭蔵さんとか、あの辺りを父親が家で流していた記憶があるんですよ。父親はギターも弾いていたので、それの影響とまでは言わないですけど、いつでも弾ける場所にギターはあったんですよね。自分もエレキ・ギターを中学2年くらいに買って。……高校1年の終わりくらいの頃に、テレビで奥田英朗さん原作の『イン・ザ・プール』を見て、そのエンディング曲がシュガー・ベイブだったんですよ。それを聴いて「これや!」みたいな。

角谷:「DOWN TOWN」ね。

桶田:そう「DOWN TOWN」。ラストシーンが大滝詠一の「ナイアガラ・ムーンがまた輝けば」で、その流れを聴いてグッときたんですよね。今の形があるのはそれを観たからだと思うんですよ。

 

僕の場合なんですけど、思春期にミュージックステーションとか、そういう音楽番組が全盛で、毎週見ておかないと学校で話題に入れないというのがあって、押し付けられるようにいろんな曲を好きになっていった記憶があるんです。それが桶田さんの場合は、小さい頃からお父様の影響で、しっかりした音楽の基盤みたいなものがあったということですよね。誰かに強要されたような気分ではないというか。

 

桶田:でもバンドをやり始めたきっかけはBUMP OF CHICKENなんですよ。初めて買ったCDも確かそうでしたし。それからは色々と手当たり次第、例えば4人組のバンドと条件を決めたりして、片っ端から聴いたりしていたんです。すると、くるりとかを聴くと細野晴臣とか、そういう名前が出てくるのでまた聴いて……そうやって幅を広げているうちに、今思えばなんですけど、だんだんとティン・パン・ファミリー寄りのものが好きになっていったんですよね。そういう所から入っていったんですけど、それぞれルーツがものすごいじゃないですか。例えばシュガー・ベイブにしても、ユーミンの初期のアルバムのコーラスをやっていたりとか。細野晴臣繋がりで西岡恭蔵の「ろっかまいべいびい」を知って、家に帰ったらそのレコードがあったりして聴いたりしていました。だから無理矢理聴こうというのはなかったですね。

 

早い段階で音楽に傾きかけていた2人(桶田・いえもと)と、なんとなくきちゃった角谷さん、という感じなんですね。

 

角谷:音楽自体はめちゃくちゃ好きだったんですよ。毎週音楽雑誌を読んだり、小さい頃から学校をサボってラジオを聴いたりしていたんです。

 

──そのラジオではどういう曲がかかっていたんですか?

 

角谷:スティービー・ワンダーの「Overjoyed」とか、ジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズの「Up Where We Belong」とかを聴いて「カッコいい!」って。そういう大人の世界に憧れていたんです。

 

桶田さんといえもとさんが邦楽をメインで聴いてきていたのに対して、角谷さんは洋楽フリークという感じですね。

 

角谷:僕も小学校の時には小室ファミリーとか、ミスチルとかスピッツを聴いていたんですけど、そういうのとは別でオールディーズとかが好きだったんです。コンピレーションを聴くとメロディーが良いものが入っているじゃないですか。ママス・アンド・パパスの「California Dreamin’」とかをずっと聴いていたんですよね。レッド・ツェッペリンやデイヴィッド・サンボーンとかも……あんまりどれか一つに傾倒するっていうのがなくて、そういうのが小学校の頃に全部一気に入ってきちゃったんですよ。中学生になるとだんだん自分の趣向が分かってきたんです。「俺はどうやらAORってジャンルが好きらしい」って(笑)。それでタワーレコードに行って、フィニス・ヘンダーソンの『FINIS』ってアルバムとか、ジミー・メッシーナの『OASIS』みたいな、海辺っぽい大人の感じに憧れていたんですよね。今はロードショーって廃れちゃったけど、その当時はロードショー時代が生きていた感じがするんですよ。そこで例えばターミネーターでシュワちゃんがバーに行ったときにかかっている音楽とか、車で飛ばしているときの音楽とか、そういう'80年代の世界がすごくカッコ良かったんですよね。ずっと憧れていたんです。

 

──いえもとさんには、具体的な名前でこれがきっかけ、というのはありますか?

 

いえもと:うーん。……中学の時とかはずっとクラシックバレエをやっていて、バレリーナになりたかったんですよ。なのでバレエ音楽ばっかり聴いていたんですよね。

 

そんな過去があったんですか……! でも、それが高校受験で進路を迫られたときに、グッと音楽の方へ傾くわけじゃないですか。

 

いえもと:この人に憧れてというのは特にないんです。初めて人前で歌った曲は、高校受験のときの課題曲だった夏川りみさんの「涙そうそう」だったのは覚えているんですけど。……やっぱりお父さんがユーミンを好きで、よく一緒に聴いていたのはありますね。でも、ユーミンばっかり聴いていたというわけでもないですし……。

角谷:安藤裕子は?

いえもと:安藤裕子も大学入ってから好きになったしなあ。どちらかと言うと、女性の声よりは男性の声の方が面白いなと思っていたんです。具体的に誰というのは……やっぱり思い浮かばないですね。 

 

でも、やっぱりユーミンという名前が挙がるだけで、みなさんのバックグラウンドにゆったりと繋がるものが見えたように思います。

 

 

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