FUKUROKO-JI

興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりするブログです。Mail : fukurokojimodame@gmail.com

Sayoko-daisy インタビュー #3

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ジャンゴ店内に飾られたSayoko-daisyのサイン。お近くの方はぜひ店頭を訪ね、先日の#2で掲載したポップも合わせてご覧いただきたい。

 

売れたい、有名になりたいというのはないけど、流通に乗せることで支えてくれた人へ恩返しになるかと思った。

 

 

──今回リリースされたアルバム『ノーマル・ポジション』を制作されていた期間はどのくらいだったんですか?

 

S:期間は大体1年を見ていて、去年の夏に『Need them but fear them』を出してからぼちぼち考えようとしていたんですね。先に手を付けていた配信のカヴァー・アルバム(『drop in』右記リンク先で現在もフリー・ダウンロードが可能)が出来上がったのが今年の1月だったので、じゃあフル・アルバムは今年中に出そうと。曲は作るたびにSoundcloudで公開しているんですけど、『tourist in the room』を出した後から作り始めた曲が1年位経って溜まってきていたんです。その中から5曲くらいを選んで、残りを作るかって感じで。秋には出来るかなって思っていたんですけど、途中で身体を壊したりして遅れに遅れて……。でも大体期間は1年ですよね。

 

──「CDとして出していない曲があるから、アルバムを作ろう」という感じ?

 

S:1枚目を作ったときに、気持ち的にはもう終わっていたんですけど、よくよく考えてみると他にも入れたかった曲はいっぱいあるなって思ったんですよね。だから、いつかはそういう曲を集めて出そうかなって思っていたんです。

 

これまでの作品は全部お一人で制作されていましたね。

 

S:そうですね、『tourist in the room』のマスタリングだけ違う人にお願いしていて、あとは演奏も打ち込みも全部一人です。

 

それが、今回はバンヒロシさんをはじめCRUNCHの堀田さん、Paisley PheasantのHiroyuki Itoさんという3人が参加されています。

 

S:堀田さんは名古屋のバンドの人で、わりと年も近いし住んでいる場所も近いので、話をしたり、コンサートで出くわしたりというのがあって、去年、CRUNCHのリミックスを頼まれたんです。それをやったときに、「いいものを作ってもらったから、今度何かあったら手伝います」って向こうから声をかけてくれたので、「じゃあお願いします」って。ちょうど生のギターを入れたいと思っていた曲もあったんですよね。

 Itoさんは、バンさんのイベントを手伝いに来られていて、打ち上げの席で知り合ったんです。「CRUNCHの堀田さんにギターを弾いてもらうんです」という話をしたときに「僕も弾きます」って言ってくださったんですよね。そういう風に言ってもらえた縁には全部乗っておこうと思って。

 バンさんとは元々私が1枚目を出した直後からお付き合いがあったんです。今回バンさんのことを歌っている曲を作った(「Teach Your Beat」)から、「ここはバンさんの一言が欲しいな」って思って声をかけたんですよね。すごく目上の方なのでちょっと頼みづらかったんですけど、お願いしたら快く引き受けてくださって。

 

ジャケットが帯が付いている感じのデザインで、レコードみたいになっているじゃないですか。あれはご自身で考えていたアイデアだったんですか?

 

S:そうですね。「'90年代の再発盤」というか、'80年代にレコードとして出たものを再発した感じ、というのがコンセプトなんですよ。人物をポンと切り取って貼っているのは高橋幸宏さんの『音楽殺人』とかのイメージで(笑)、それから、アルファ・レコードの再発が全部赤い背表紙だったので、ああいうのにしたいとか。帯に見立てた部分の文字はモロにYMOで、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」って斜めに入っているイメージ(笑)。あと、裏面はカセットテープの写真を使ってるんですよ。家にあるノーマル・ポジションのテープを探してきて、一番その時代っぽいのを切り取ってみたりして。

 ……なんかこう、今'80年代ブームみたいなのが流れとしてあるじゃないですか。アイドルが'80年代な感じのある曲をやっていたり、インディーズの人たちが'80年代の匂いがするジャケットを作ったり、カセットテープをオマケに付けたり、アナログを出したりとか。そういうのが注目されるのはいいけど、「'80年代っぽいのがオシャレ、トレンドだからやっている」っていう薄っぺらいのはすごく嫌で、反感を持っているんです。だから、あのジャケットはとことんまで'80年代っぽくしようと思った結果なんですよね。中途半端にしたくないというか。だからデザイナーには、何かの真似になってもいいから、とにかく「今の時代にこれ?」っていう、ダサく見えるくらいでちょうどいいって伝えて作ってもらったんです。

 

──冷静に今の時代の目で見れば、'80年代は決してオシャレに見えるようなものではないと。

 

S:そうなんですよ。そんなに'80年代ってオシャレじゃないんですよね。今になって昔の雑誌を読み返すとダサい部分があるじゃないですか、言葉も感覚もやっぱり古臭いというか、その辺りも含めて'80年代なんですよ。私はそれが好きなので、オシャレ感だけを抽出したようなジャケットは絶対嫌というのがあったんですよね。

 

事前に用意していた質問で、「レコードを出すとかって考えなかったですか?」というのがあるのですが……。

 

S:ああ、それはしょっちゅう言われるんですけど、打ち込みでやっているから、レコードで出しても「レコードをプレスしたよ」っていう、それだけのことになっちゃって、音が良くなるっていう訳じゃないんです。レコードの時代に出ていたものは、レコードのために録音しているから良い音なんですよね。私みたいにCDの規格で作っちゃったものをそのままレコードにしても、ただCDがレコードになったというだけなんです。形としてはアナログってカッコいいけど、ただそれだけになっちゃうなって思うんですよ。プレスするにも結構高く付きますしね。1枚だけとか、記念になら欲しいですけどね(苦笑)。

 

──レコードの頃って録音もテープだったりしますしね。

 

S:あの質感というのはなかなか出せないですから。それに「この人もか」って言われるのは悔しいじゃないですか(笑)。「またか」って。

 

「再発」というコンセプトならCDでバッチリですね。

 

S:そうなんですよ。だからCDにしようって思ったんです。

 

──前作まではジャンゴなどの限られた少数の店舗でしか入手できなかったのが、今回からはしっかりと流通もさせるんですよね。

 

S:別に売れたいとか有名になりたいっていうのはないんですけど、形として流通に乗せると、何か恩返しになったかなとも思えるんですよね。ジャンゴさんもそうですけど、色々支えてくれた人がいて。「もっと色んな人に知ってもらおうよ」っていう感じで一生懸命に推してくださる人がいっぱいいるのに、「いや、そんなのいいですから」って言い続けてるのも、なんか嫌なやつだなというのがあって(笑)。気持ち的には恩返し的なものがありますね。

 

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

 

 

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Sayoko-daisy インタビュー #2

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ジャンゴ店内には今も1stミニ・アルバム『tourist in the room』のポップが貼られている。

 

曲作りは炬燵の上でしているんですよ。

 

 

──新しい曲を作るときは、何かきっかけのようなものがあるんですか?

 

S:大体作ろうと決めて座って作り始めますね。家事をしながら鼻歌で、みたいなのはないです。あとは結構夢の中で作った曲もあるんですよ。すっごい良いのが出来たと思って、起きたらそれは夢でもう全部忘れてるっていうパターンもあるんですけど、覚えているのも何曲かあるんです。夢ネタ。

 

──夢ネタ(笑)。

 

S:歌詞とか世界観とか、本当に夢に出たメロディーそのものを使っているのもありますよ。でも基本的には座ってやりますね。「作ろう」と思わないと作れないんです。

 

──曲作りのスタートはどこから手をつけ始めるんでしょう。

 

S:まずはリズム隊からですね。ドラムとベースで何小節か作って繋げていく……メロディーから作るってあんまりないです。基本的にダンス・ミュージックみたいなのが好きなので、リフ的なベースのパターンとか、そういう所からとりあえず何小節か作って、ずーっとループさせて気持ちよく聴いてる、みたいな感じ(笑)。で、じゃあコレの前にBメロが要るな、とか、Aメロはこうしよう、とか。そこからコードをつけて行って、という流れです。だいたいループさせて気持ちよく聴いている時間がほとんどで、メロディーは本当に最後の方ですね。

 

──DAWソフトは何を使っているんですか?

 

S:Cubaseです。

 

──シンセは高校生からのを今も使っているんですか?

 

S:もうハードのシンセは使っていなくて、内蔵のものとか、フリーのソフトシンセばっかりですね。あの、家でやっているので、そんなに機材を置く場所がないんですよね。私達みたいな音楽をやっている人たちって機材マニアみたいな方も多くて、中古でも色々買ったりするじゃないですか。例えばスタジオとして環境が整っていてデスクがあって、ラックがあって、という風に場所があるならやるけど、今は炬燵の上で曲作りをしているんですよ。だからハードを持ってくると邪魔でしょうがなくて、パソコンでちっちゃい鍵盤を繋いでというのが楽なんです。

 

──じゃあハードであれが欲しいな、というのはほとんどないですか。

 

S:ないですね。お金があったら買うかもしれないですけど、意外とフリーのでも面白いものはいっぱいありますからね。それにハードは飽きたらどうしようっていうのがありますから。「意外と使えないな」というのはキツいので(苦笑)。そんなのだったらマイク買おうかな、という考えになっちゃうんですよね。

 

──そういう収集癖というか、集めるのは男の人のが好きですよね。

 

S:好きですよねえ。やっぱりそういう所が違うかなって。

 

──「教授が使っていたプロフェット5が欲しい!」とか。

 

S:ねえ。いくら本物のが音が良くても、プロフェットみたいな音が出るソフトシンセで満足しちゃうんですよね。よく「何を使っているんですか」って聴かれるんですけど、全部フリーのものなんですよね、実は(笑)。

 

──ミックスも全部されているんですか?

 

S:そうですね。最初はミックスとかも全然知らなくて。だから『tourist in the room』はミックスをしていない状態ですね(苦笑)。

 

──そうなんですか!

 

S:音量の調節と、左右の振り分けくらい。だからマスタリングした人に「高音域が全然出てない」って言われましたね(笑)。言われて初めて「勉強しなきゃいけないんだな」って思いました。

 

──『tourist in the room』以降は勉強をして。

 

S:ちゃんとやらなきゃいけないなって。

 

──Sayoko-daisyさんに質問する、というページで、書かれる歌詞の創作と実体験の比率が7:3くらいだと拝見したのですが、今作では実体験が多い印象を受けました。

 

S:今回のアルバムに関して言ったら、実体験のほうが多いくらいですね。逆に『tourist in the room』は完全に妄想の世界で、9割方妄想みたいな感じでした。

 

──歌詞を書くときも、曲を作るときみたいに「よし!」ってモードを切り替えてから書くんですか?

 

S:うーん、気になった言葉をメモするとかはありますけど、基本的には書こうと思ってしか書けないですね。だから曲がだいぶ出来てから歌詞を書こうかなっていう感じです。

 

──じゃあ、もう音楽をやっているときと普段の生活でバッとスイッチが切り替わっちゃうんですね。

 

S:そうですね。家事しながら音楽のことは考えないですから。

 

──そういう気持ちの切り替えは得意ですか?

 

S:1個のことしか出来ないんですよ。だから、ぼーっとしている時間、暇な時間に考えようかなって思いますね。

 

──それから先は没頭していける。

 

S:うん、そうですね。

 

──先ほど『tourist in the room』の歌詞はほとんど妄想と伺いましたが、Sayoko-daisyさんが書かれる歌詞は、聴いてくれている人に向けての何かしらがあるのか、自分のために書いているのか、どちらでしょう。

 

S:自分のために、ですね。自分のためにというか、誰かに対してのメッセージというのがあまりないんです。歌詞ってどうでもいいと思っているところもあって、メロディーにハマってくれればいい、それで聴いていて気分悪くなければいいかなというのがあるんです。なので言葉もきれいな言葉を使っていたら……中身はまあ、後付けでなんとかなるかなって。でも後々読み返すとそのとき考えていたことが出ていたりするんですよね。だからあんまり何も考えないで、語呂の良さとかでメロディーにハマるように書こうって。

 

──歌詞とメロディーだとどちらが先に仕上がりますか?

 

S:歌詞から先の場合もありますけど、実は歌詞を考えているときは同時にメロディーも考えているんですよね。「この歌詞はどういう感じで歌おうかな」って。

 

──絶対に曲が先にないと歌詞が出来ないとかではなく。

 

S:うん。だから多分、歌詞を先に作らなきゃダメですとなったら歌詞から作りますしね。ただ、出来上がった曲に歌詞をつけるのはやっぱりしんどいじゃないですか。もう決まっているところに言葉をハメるのって難しいので、やっぱりどちらかというと詞の方が先にあったほうがやりやすい気はします。

 

──今の「難しい」というのは、例えばこの言葉を入れたいのにメロディーに合わない、とか?

 

S:詞を曲に乗せるときに、歌詞はどうでもいいと言いつつも、一応基本的なところで無茶なハメ方はしたくないというのがあるんです。なんかこう、いらない言葉が入っちゃうことがあるじゃないですか。すごく情報量が多くて早口になっちゃうとか、そういうのがあまり好きじゃなくて、メロディーと歌詞がナチュラルに流れていくようにしたいから、言葉遣いには気をつけたいなと思っているんです。間違った日本語、日本語にない言葉になっちゃうのが嫌なんですよ。例えば「見れる」にしたらハマるけど「ら抜き言葉」は使いたくなくて、「見られる」にしたい、とか。そういう細かい所が気になるんです。出来上がったときにちゃんと日本語の文章としておかしくないか、とか。メロディー作るときも、基本的には言葉のイントネーション通りに上下させたいというところがあるんです。その方がやっぱりナチュラルに聞こえるんですよね。 

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

 

 

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Sayoko-daisy インタビュー #1

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Sayoko-daisy Official Website(http://lazydais3.wix.com/sayoko-daisy

 

 それは僕が初めてジャンゴ(奈良市にあるレコード店)を訪ねたときのことだった。'90年代にタイムスリップしたような錯覚を起こさせる店内でひと通り物色したあと、ふと壁に目をやると、リンゴとパイナップルが並ぶ鮮やかなジャケットが飛び込んできた。

「これ、どういう感じなんですか」

 僕の短い問いかけは、店長である松田さんのレコ屋魂に火を灯すのに充分だった。彼はその後数分間、ほとんど隙間なく喋り続け、その1000円のCDについて教えてくれた。頭を巡らせ、1から10まで、ともすれば10以上のことまで話そうとするその表情は、本当にキラキラと輝いていて、それだけで買う値打ちがあるとさえ思えた。

「ほとんどウチにしか置いていないんですけど、もう100枚は売れたんじゃないかなあ」

 恐らく殺し文句なのであろう、彼のそのフレーズを聞くより早く、僕の右手は『tourist in the room』を握っていた。

 それが僕とSayoko-daisyとの出会いだ。

 

 個人的に興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりする当ブログ『FUKUROKO-JI』。前回のウワノソラに続いて話を訊いたのは、三重県在住の宅録主婦、Sayoko-daisyだ。小学生の頃から作編曲を嗜んでいたという彼女が、楽曲をインターネット上に公開し始めたのは2012年のこと。前述のジャンゴ店長の松田さんの勧めもあって、同年12月に1stミニ・アルバム『tourist in the room』を、翌2013年8月には2ndミニ・アルバム『Need them but fear them』をそれぞれリリースした。その後はカヴァー曲集『drop in』の配信やライヴ活動を経て、当記事公開当日の2014年12月17日に、初の流通盤となる1stフル・アルバム『ノーマル・ポジション』をリリースした。

 

 僕が彼女の存在を知ったのはつい最近のことで、まさに冒頭のような出会いがあったわけだが、何より一番惹かれたのが『tourist in the room』収録の「Hangetsu-No-Machi」だった。再生と同時に流れるぼんやりとしたシンセサイザーの音色を聴いた、そのほんの1秒足らずの間に、すっかりとろけてしまったのだ。

 

 

続けざまに『Need them but fear them』を聴き、ぐにゃりと曲がってしまった自分の身体に鞭打って彼女のホームページをチェックすると、なんと近々リリースの予定があるという。そこからインタビューの依頼を出すまではごく自然な流れだった。

 

 今回は、去る12月5日に奈良市で行なった彼女のインタビューを、数回にわたってお届けする。彼女のホームページには、彼女自身による『ノーマル・ポジション』収録曲の解説や、松永良平氏を始めとする面々によるレビューなどが掲載されている。当インタビューもそれらを参考にして構成しているので、是非お買い求めの『ノーマル・ポジション』と合わせてお楽しみいただきたい。

  

 

歌は嫌いでしたね。自分の声だけ浮いて聴こえるから嫌だったんです。

 

──小学生の頃から作曲をされていたということですが、具体的にはいつ頃ですか?

 

Sayoko-daisy(以下:S):生まれて初めて曲を作ったのが8歳ですね。ヤマハの音楽教室にエレクトーンを習いに行っていて、その教室でソルフェージュという、メロディーにコードを付けるとか、そういう簡単な楽譜の書き方を習ったんです。ヤマハは子供のオリジナル曲コンテストみたいなイベントを毎年やっていて、それに出すために嫌々作ったんですけど、教室から1人代表を選ぶというのに選ばれて、親に褒められたんですよ。

 

──それはどういう曲だったんでしょう。

 

S:もうどうしようもない、取るに足らない感じの曲でした。ピアノで作ったんですけど、私が作ったのはモチーフだけで、先生が付きっきりで曲として成立するように直してくれたんです。そこでアレンジっていう、そういう仕事があるんやって認識して。

 

──それをきっかけにずっと曲作りをしていた。

 

S:いや、なんかこう、小学校高学年くらいのピアノを辞めたくなる頃ってあるじゃないですか。練習が嫌になってくるっていう。楽譜通りに弾くのがすごく嫌だったんですよ。間違うと怒られるし。でも自分で作った曲なら自分の好きなように弾けるじゃないですか(笑)。ちょうどポップスとかを聴き始めたのも小学5~6年生くらいで、肩肘張ったクラシックよりは、普通に売れている曲とかをやりたいと思うようになって、それがきっかけで自分で編曲をしようと思ったんです。作曲じゃなくて編曲の方に最初に興味を持ったんですよね。

 ちょうどその頃ヤマハで習っていた先生が独立されて、個人でピアノ教室をやるからおいでって誘われて通っていたんですけど、「私は編曲を勉強したいんで辞めます」って言ったら、「ウチで教えます!」っていう言葉が返ってきたんですよね。よくよく尋ねてみるとその先生はポップスの専門学校を出ていて、しかも、旦那さんがパイプオルガン奏者なんですが実はめちゃくちゃビートルズ・マニアで、学生のときにバンドとかをやっていた人だから、ある程度は教えられるって言われて。そこで簡単な編曲を習っているうちに、徐々にポップスに移行していったんです。

 

──それはどういう授業だったんですか? 

 

S:一番最初に習ったのはブルース進行でしたね。あと、先生がメロディーだけを書いた楽譜を渡してきて、「伴奏を付けてきなさい」って宿題があって、その課題曲がポール・モーリアとかなんですよ(笑)。授業は楽しかったですね。小学校の5~6年生から中学校の2年くらいまで習っていました。最後は先生に教えてもらうだけじゃ物足りなくなって辞めちゃったんですけどね。

 

──じゃあ高校に上がるくらいには自力で曲を作るようになっていた。

 

S:自分で本を買って勉強したり、カセットテープに録音したりしていましたね。カセットにまずベースを入れて、そのカセットを別のデッキで再生しながらオルガンを録音する、みたいな。ずっと重ね録りを続けて、最終的に歌……歌は嫌いだったのでインストだったんですけど、デッキ2台で多重録音をして遊んでいました。楽器はずっとピアノを弾いていたんですけど、家を引っ越したときに売られてしまったんです。それで手元にある鍵盤楽器がオモチャみたいなカシオトーンだけになっちゃって、中学3年の頃はその一台とカセットデッキでやってましたね。高校の入学祝いでシンセサイザーを買ってもらってからは、シンセで打ち込みというのを……打ち込みという手法はもうその頃には知り始めていたし、YMOも当然知っていたんですよね。

 

──さっきチラリとお話が出たんですが、その頃は歌が嫌いだったんですか。

 

S:歌は大嫌いでしたね。

 

──歌うことが?

 

S:自分は歌が下手だと思っていました。決定的に音痴ではないんですけど、他の女の子たちと歌うと自分の声だけ浮いて聴こえるから嫌だったんですよ。なんというか、お母さんの声と一緒やし(苦笑)。テレビを観ていたらキーボードやギターを弾きながら歌う人がカッコいいから自分も真似しようとするけど、やっぱり思うような歌にならないんですよね。その頃は小室ファミリーとか、MISIAとかUAとか、R&B的な人が出てきていて、皆めちゃくちゃ歌唱力があるじゃないですか。どうしても自分が歌うとふにゃふにゃしちゃって、ああいう歌い方が出来なかったんですよ。でも他に歌える人もいなかったので、歌の入った曲を作るときは自分で仕方なしに歌っていました。

 

──それが一転して、17歳のときにヴォーカルとしてバンドに参加されていたんですよね。そのときはなぜ「歌ってもいいかな」と思えたんですか?

 

S:あれはYMO好きのサークルみたいなのがあって……。

 

──高校でですか?

 

S:いや、オトナの人ばっかりです。20歳くらい年上の人ばっかり。周りにYMOファンが居なくて寂しいから、個人情報誌みたいなのを使って文通で情報交換したりしていて、それで知り合った奈良の人がトラック・メイカーだったんです。私が高校で演劇部に入っていたのもあって、その人に「ナレーション的なものを曲にのせて欲しい」って誘われたんですよね。喋るつもりで行ったんですけど、いざ行ってみたら歌になってて。下手だから歌いたくはないんですけど、年上の人やし、「下手なのがイイ!」みたいに言われて歌いました。世の中にはヘタウマと呼ばれるものがあるじゃないですか。ちょうどその人に教えてもらったのがルー・リードとか、歌自体はそんなに上手くはないけど(苦笑)、でも味があって、こう歌う人もいるんやって。それでだんだん歌うことに慣れていったんです。でも基本的に今でもあまり歌は歌いたくないですよ(笑)。

 

そこから10年近く音楽活動を休んで、2012年にまた再開されるわけですが、その間の10年は自分で音楽を作るということにほとんど触れなかったんでしょうか。

 

S:うーん……。自分の結婚式で自分の曲を歌ったり、後は宴会芸みたいなことですね。私はブログをやっているんですけど、タイトルの『Party performance』っていうのは日本語で『宴会芸』なんですよ。パーティー的なものに呼ばれて、私が楽器を弾いたり曲を作ったりしていたことを知ってる人から「何かやって」って言われたときに「じゃあ曲を作りますか」と。3年に1回くらいのペースでやっていました。

 

──その頃から曲は打ち込みだったんですか?

 

S:そのときもまだシンセ1台、だから高校生の頃と全く同じスタイルですね。知り合いに音響をやっている人が居て、お下がりのマイクとMTRをもらったので多少録音環境は良くなっていたんですけど、宴会でやるだけだからレコーディングはしていなかったんです。トラックだけを作って身一つで行ってカラオケみたいに歌うという感じでやっていて。

 

話は少し戻りますが、一番初めの音楽をやりたいって思った、ヤマハの音楽教室に通おうと思ったのはご自分の意思だったんですか?

 

S:いや、無理矢理連れて行かれました(笑)。

 

──じゃあ「音楽やりたい!」っていうのはその時点ではなかった?

 

S:なかったですね。でも、物心がついた頃からずっと音楽を聴いている子供だったらしいんですよ。歩く前からラジカセの前に座っている子だったらしくて、ずっと音楽を聴いて頭を振っていたんですって。そういうこともあって、「まあこの子は女の子やし」っていうことで連れて行かれたんです。幼稚園ぐらいの頃は歌ったりするのも好きでしたし、私立だったからマーチングバンドの真似事とかもあったんですけど、そういう皆で演奏するっていうこともすごく楽しくて。ピアノを習っている子供って、将来を尋ねられたらだいたい「ピアノの先生になる」って言うじゃないですか(笑)。そういう感じで「将来はピアニストになります」みたいなことは言っていたけど、本当に音楽でやっていきたい、そういう仕事に付きたいと思ったのは編曲に興味を持ちだした小学生5年生くらいからですね。

 

──編曲に興味を持ち始めた頃はどんな曲を聴いていたんでしょう。

 

S:わりと普通で、ミスチルとかを聴いてましたね。でも一番最初に「良い!」って思ったのは鈴木雅之だったんですよ。「こういう音楽ってどうやったら作れるんやろう」って初めて思ったんです。だから今も影響がずっと残っているのは鈴木雅之っていう。フフフ。鈴木雅之の曲を作っているのって山下達郎だったりするので、結果的に後で繋がってくるんですよね。

 

──後々になってそういう繋がりに気付くんですよね。

 

S:「これはあの人が作ってたのか」って。

 

──ちなみに、初めて買ったCDって覚えていらっしゃいますか?

 

S:それも鈴木雅之なんです。小学生の頃。『夢のまた夢』っていうシングルでしたね。確か小田和正プロデュースでした。当時は歌番組も多くて、全部録画して観るという感じで、小室哲哉とか、その頃流行っていたものはひと通り聴いていましたね。

 

例えば今名前が挙がった山下達郎とか、一つの曲からいろんな名前が見えてきた、繋がってきた時期はいつですか? 要はテレビで流れてきたものをただ聴いているだけではなくて、自分から掘り下げていくということを始めた時期のことです。

 

S:多分YMOを聴き始めたのが中学1年の頃なんですよ。坂本龍一がYMOの曲をピアノで弾いているライヴを偶然テレビで観たんです。「東風」とかをやっていて、すっごい「うわあ」ってなって、CDを買いに行ったんですけど、ソロでYMOの曲をやっているのは出していないんですよね(笑)。それでお母さんに訊いたら「坂本龍一ならYMOの曲かもしれない」って言われて。そこからYMOを聴き始めたんですけど、今みたいにインターネットもないし、親もメンバーが坂本龍一しかわからない人だったんで(笑)、とにかく情報がないんですよ。だからCD屋に通い詰めて再発が出たら買うとか、そういうことで情報を集めていました。譜面が欲しくて大阪まで買いに行ったらそこにディスコグラフィーが載っていて、それを見てCDを集めて、という感じでしたね。

 あるとき本屋に行ったら細野さんのインタビューが乗っているロック名盤ガイドみたいなのを見つけたんですよ。日本のロックが、それこそロカビリーとかの時代から、時系列で'90年代まで載っているのを見て、「はっぴいえんどっていうのがあるんや」「これは細野さんが絡んでいるんや」「山下達郎は普通にポップスで売れているけど、シュガー・ベイブというバンドをやっていた」とかっていうのを読んで覚えていって、買える範囲で買ったりレンタルで聴いたり。掘り下げるという感じになったのはその辺りからですね。

 

Sayoko-daisyさんはツイッターのプロフィールにも「細野さんは私のアイドル」って書かれているんですけど、それはその頃からずっとですか?

 

S:中学2年とか、そのくらいからですね。

 

──ちなみに、細野さんが参加されている作品で一番好きなのって何でしょう。

 

S:やっぱり『泰安洋行』ですね。初めて聴いたソロ・アルバムで、ジャケ買いだったんですよ。それまでイメージしていたYMOの世界から突然『泰安洋行』を聴くと、前情報が何もないのですごく衝撃で。最初は「何これ?」って思ったんですけど、中毒性が高くて何回も聴いちゃうみたいな感じでした。『tourist in the room』を作るときも「『泰安洋行』みたいなのを作りたい」って思って作ったんですよ。トロピカルな感じっていうか。細野さん風に言うとチャンキー、いろんな要素が突っ込んであるっていうのを自分もやりたいって思っていましたね。

 

もしもの話、当時自分の周りにYMOとかを好きな人がたくさん居たら、今のように打ち込みではなく、バンドをやっていたんでしょうか。

 

S:やっていたんじゃないかなあ。一度やろうとして中学生の頃に2人メンバーを集めたことがあるんですよ。ベース、ドラム、私がピアノという感じで。でもやっぱりバンドは難しいですよね。特にオリジナルをやろうとすると、結局曲を書く人がアレンジも譜面書きも全部やらないといけないじゃないですか。それがあんまり楽しくなくて。自分がやっているパートはピアノだから家でやっているのとあまり変わらないですしね。だから、本当にYMOが好きで好きでたまらない人たちが居て、シンセサイザーを持ち寄ってやれる環境だったら、バンドをやっていたんじゃないかと思いますけど。

 

なるほど……。余談なんですが、Sayoko-daisyさんの普段の生活が気になっていて。というのも、主婦をされているじゃないですか。主婦業と曲作りのバランスはどういった感じなんですか?

 

S:旦那が2日に1日しか家にいない、みたいな感じの変則的な勤務なんです。家を出たらそのまま泊まりで、会社で仮眠して、また働いて夕方帰ってくる、みたいな。週の半分は一人暮らしみたいな感じなんですよね。だからそんなに時間が取れないということもなくて、というか何かしていないと暇なんですよね(笑)。

  

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

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ウワノソラ インタビュー #4

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奈良のレコード店「ジャンゴ」にて。左のお2人は、店主の松田さんと常連のお客様。

 

男女間の温度差というか、お互い好きなんだけど微妙にすれ違ってぎこちなくなる感じが、このアルバムの歌詞を書いている時は好きだった(角谷)

 

──『ウワノソラ』オープニングを飾るのはアップテンポな「風色メトロに乗って」ですね。

 

角谷:サビはシュガー・ベイブとか、アイズレー・ブラザーズとか、ブラック・コンテンポラリーみたいな'70年代のソウルの泥臭い感じを出しつつ、でもアップテンポな感じというのを意識しました。間奏はちょうど曲作りの時に聴いていたフィットネス・フォーエヴァーというイタリアのバンドのアレンジをイメージしながら作りましたね。とにかくブラスとストリングスを入れて華やかな感じにしたかったんです。

 

──「摩天楼」は作詞・作曲が両方桶田さんですね。

 

桶田:アレンジはさっきも言ったとおり角谷さんに聴かせた段階で少し変わったんですけど……。

角谷:もともと高校生の時に作った曲なんだよね。

桶田:そうです。高2の時に作ったんです。

 

歌詞には“摩天楼”とか“シティ”とか、“ビルディング”といういかにもシティ・ポップを連想させるフレーズが入っていて、少し驚いたんです。というのも、桶田さんの地元(奈良の地方)には、恐らくそういう景色はないじゃないですか。

 

桶田:大阪の石切とか、奈良の生駒とかによく行ってて、そこで大阪の布施から生駒に抜けたときに石切周辺で観た大阪のビル群がすごく印象に残っていたんです。僕は実体験とかを歌詞に入れるのはあまり得意じゃなくて、創作、0から別のものを作りたいって。だから、田舎に住んでいながらそういう歌詞になったんです。

 

創作にしても、実際に見た風景がきっかけになっていると。次が「さよなら麦わら帽子」。

 

角谷:これは桶田くんが最初にデモを持ってきてくれて。

桶田:すごいバラードで(苦笑)。

角谷:1拍目と3拍目に音の韻があって、それが結構フォーキー、歌謡曲な感じがしていて、もうちょっと垢抜けさせたいなと思ってBPMを上げてみたんですよ。1拍目と3拍目に音の韻があると音頭みたいになっちゃうから裏に持ってきて、音数をすごく増やしてみたり。サビはほぼ山下達郎さんの「ピンク・シャドウ」。ブレッド・アンド・バターのカヴァーをした山下達郎さんのイメージなんです。コード進行も高校を卒業してすぐ聴いていたジェイソン・ムラーズとか、ああいうカリフォルニアの感じ、西海岸の感じを入れたかったんですよね。歌詞はフェニックスの「If I Ever Feel Better」の逃避行感というか、センチメンタルな方に持って行きたかったのがあります。最後は毒ついちゃってるんですけどね。

 

「マーガレット」は桶田さんがギターを弾いている唯一の曲ですよね。角谷さんはソロらしいギター・ソロを入れるのに対して、桶田さんはメロディーに寄り添う感じの、目立たないソロ・プレイに徹している印象です。

 

桶田:ギターで聴かせる、リフを弾いて前に出るというのをあまりカッコイイと思わないフシがあって。だから効果的にそれっぽい音を入れてみたんです。

 

──なんかキリンジの堀込高樹さんっぽいなと思ったんですよ。

 

桶田:ああ、キリンジは高樹さんの方が好きですね。でもその時はあまりそういうことを考えていなくて、とりあえず早く録らないとっていうのがあったんで。1~2時間で録っちゃいました。

角谷:すごく味があって僕は好きだな。

 

「ピクニックは嵐の中で」は、途中で男のリポーターで台風の中継が入るじゃないですか。初めて聴いた時、雨を浴びる男というのが、女の子にすごく怒られているっていう比喩じゃないのかなと考えちゃったんですよ。

 

一同笑

 

──だからレタスは嫌いって知ってたのにサンドイッチに入れたのかなって。

 

角谷:聴かせた人からは「嫌いなのにレタス入れんなよ!」っていう感想が多かったですけどね(笑)。歌詞はそれぞれ聴く人の解釈があるので深く解説しませんけど、男女間の温度差というか、お互い好きなんだけど微妙にすれ違ってぎこちなくなる感じが、このアルバムの歌詞を書いている時は好きだったんですよね。

 

──その感じがすごく「うわのそら」ですよね。アルバム名も「ウワノソラ」ですし。

 

角谷:この曲は完全に異世界の感じなんですよね。トッド・ラングレンとかビーチボーイズ、ベニー・シングスとか。ギターの感じはティン・パン・アレイをイメージしたり。

 

ここから後半ですが、「現金に体を張れ」だけはアルバムの中でもすごく世界観が違うじゃないですか。

 

角谷:これはもうスタンリー・キューブリックの同タイトルの映画を見たのがきっかけですね。リズムの元ネタがシュガー・ベイブの「SUGAR」、キリンジの「汗染みは淡いブルース」とか、スティーリー・ダンやマルコス・ヴァーリなんです。シンコペーションで進んでいくというリズムが面白いなって。

 

──というと、リズムにつられてできていった曲ですか?

 

角谷:そうですね。言葉遊びとかもしましたし。結構偏見混じりの歌詞になっちゃってるんですけど、登場人物がそういう感じなだけで、僕らは全然……あ、これ守りに入ってるな(笑)。

 

──作曲のお2人とも、曲を作る時にはリズムからイメージが出てくる?

 

角谷:僕はそうですね。アルバムでアップテンポになりすぎても駄目だし、波があるのがいいかなって。そういう意味でどんな曲がほしいか考えます。桶田くんのがパッと提示されたときに、それなら僕はどういう風にしたらいいだろうって。

桶田:僕はリズムとメロディどちらから作るというのはないですね。リズムで言うと、その時の気分に比例してBPMが変わります(笑)。

 

──歌詞が先かメロディが先かなら?

 

角谷:僕は今回は歌詞が先ですね。

桶田:「摩天楼」に限った話になりますけど、どっちも同じようにできていきました。

 

7曲目の「ウワノソラ」なんですが、この曲を1曲目に持ってくることは考えなかったですか? と言うのも、コーラス・アンサンブルがメインの曲なので、最初に聴いたときにブライアン・ウィルソンの『Smile』の冒頭(「Our Prayer」)が連想されちゃったんです。だから、曲作りの元ネタように、アルバムの組み立てもそういう所から持ってくるとか……考え過ぎですかね。

 

角谷:僕も曲作りのときにちょうどそれを聴いていて、確かに最初は「ウワノソラ」を1曲目にしようと思っていたんですけど、並んだ時の抑揚とかを考えて、インタールード的に挟んだ方がいいんじゃないかなと思ったんです。コーラスの食ってる所はブライアン・ウィルソンから持ってきていますね。

 

「海辺のふたり」では、「現金に体を張れ」でも聴けたような印象的なギター・ソロが入ってます。角谷さんは積極的にソロを入れてますよね。

 

角谷:もともとフュージョンが好きだったというのもあるんですけど……。

 

──「俺にソロを弾かせろ!」みたいな?

 

角谷:いや、できれば弾きたくないんです。ここにギター・ソロがあった方が気持ちいいよなって。でも肝心の引き出しがあんまりないんで、「現金に体を張れ」はサンタナみたいになっちゃったんですけど。

 

そういう風にできること自体が引き出しだと思います。次の「おやすみハニー」は歌に関してお伺いしたいのですが、他の曲は割とフラットに歌っているイメージなのに、これだけ特別感情が入っているような気がしたんです。

 

いえもと:メロディがそう感じさせたんだと思うんですけど……なんですかね(苦笑)。言葉の事を考えて、できれば感情が伝わるようにと思いながら歌っているんですけど、なかなか……。自分で聴いていても、なんだかあまり感情が入っていないように聴こえるっていうのが昔からあって、そういう風に聴いていただけたのは、やっぱりメロディだと思います。特にこの曲だけ感情的に歌ったというわけではないです。

 

──他の曲も、あえてフラットに歌っているというつもりはない?

 

いえもと:ないですね(笑)。

 

──意識して声色を変えたりというのは?

 

いえもと:イメージに合うようにとは思っているので、そういう意味で変わっているかもしれないですね。作詞者からしっかりとしたイメージをもらっているわけでもないですけど、自分が聴いた上で歌いたいようにと最終的に言われるので。ヴォーカルもデモで角谷くんが歌っているのを聴いて、「こういう風に歌って欲しいのかな」というのを少し考えて歌っていました。

 

なるほど……。ラストは「恋するドレス」。僕はこの曲をYouTubeで聴いてウワノソラを知ったんですが、そのときに歌声にすごく引っ掛かりがあったんです。こういう曲って一十三十一さんとかユーミンみたいに、とんでもなく歌がうまい人がさらっと歌っているイメージだったんですけど、さらっと歌おうとしていない感じというか。

 


ウワノソラ - 恋するドレス - YouTube

 

いえもと:「恋するドレス」は一番難しかったですね。歌いにくい部分もあったし…フフフ(笑)。でも、基本全曲難しかったですよ。歌をやってる友達からも「難しそうやな」って言われましたし。

 

──その感じがすごく魅力的に聴こえたんだと思います。あどけなさというか。

 

角谷:確かにそうかもしれないな。

 

ウワノソラを知ったときに奈良県出身のお2人がメンバーというのを見て、「奈良のバンドなんだ」って思っちゃったんですが、歌詞を見ると“海”とか“風”がすごく出てくるので、「奈良って海ないんだけどな」って違和感があったんです。それは神奈川、横浜に住んでいた角谷さんのエッセンスがかなり詞に影響していますよね。

 

角谷:どうかな。でも海は好きだったんですよ。風とか、そういう漠然としているものが……。

桶田:扱いやすい?(笑)

角谷:扱いやすい(笑)。

 

─最初はこのインタビューを公開するときに「奈良のバンド」って言い切っちゃおうと思っていたんですけど、そういうのを見るとあくまでメンバー2人が奈良出身で、関西でバンドやってるよって捉えた方がいいのかなと思ったんです。みなさん「奈良」って言われることに違和感あったりしませんか?

 

いえもと:別にどこでも……(笑)。

角谷:やりにくさとかは全然ないですし。

桶田:自分たちから公言したことはないし、まず奈良で活動をしていないですから、名実ともに、というわけではないですね。でも言われることに違和感はないですし、かと言って自分たちでそれを売りにするつもりもない。別にどこでもいいんです(笑)。

 

 

【2014年9月2日、奈良市内にて。】

 

 

 

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 「ジャンゴ」店内にディスプレイされたレコード/CDの大半には、店主の松田さんが記したコメントカードが添付されている。広くシティ・ポップ周辺の音楽が好きな人にぴったりの品が揃っているので、ぜひ一度店頭へ伺ってみてほしい。また、当日松田さんとお客様から『ウワノソラ』に対するコメントをいただいたので、以下に掲載する。

 

 

「ジャンゴ」松田さん

 あまり批評家的なコメントはできないんですが、新人で学生さんが居るバンドとは思えないクオリティですよね。アレンジもセンスがいいし、歌声もいい。名曲率が高いのもいいですよね。演奏力もすごく高いですし、なかなかデビュー盤とは思えないんですよね。

 今はあんまりレコードを聴く人がいないですけど、京都とかにはまだそういう文化が残っているので、そういう所だとすごく目を引きそうですよね。奈良在住の人がいる、こういうバンドが出てきたのはすごく嬉しいです。

 WebVANDAでも絶賛されていましたけど、あれだけ知識ある方にああいう風に書いていただけるというのはすごいですよね。批評しているというよりは、もう興奮したまま書いている感じでしたね。そうさせる魅力があるんだなあ。

 最近は5曲目の「ピクニックは嵐の中で」とかも気に入っててね、最初はやっぱり1曲目の「風色メトロに乗って」とか「恋するドレス」に気持ちが行くんですけど、聴いているうちにどんどん他の曲の良さに気付くんですよ。本当に'70年代の感じがあるよね。若い人がやっているとは信じられない。

 

お客様

 サウンドクラウドで最初に聴いた時からいいなと思っていて、「Umbrella Walking」を聴いてまたすごく良くなってると思ったら、「恋するドレス」を聴いて天才や! って。最初はある程度まとまっている感じだったのが、最近どんどん幅が広がっていってて。いえもとさんのファルセットもすごい、夢見るような切ない感じが共存していてたまらん! って。

 

 

#1 #2 #3 #4

 

 

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ウワノソラ インタビュー #3

f:id:fukuroko-ji:20141001183911j:plain レコード店「ジャンゴ」で偶然居合わせたお客様に、メンバーそれぞれがウワノソラとして初めてのサインを書くことに。奥は店主の松田さん。

 

曲作りでは大滝詠一さんの分母分子論を参考にしていて、それを今の録音環境でやってみるとどういう音に仕上がるのか、という実験でもあった(角谷)

 

 

角谷:もともと僕と桶田くんは宅録で曲を作っていたんです。宅録だと完璧に自分の意図した通りにできるじゃないですか。それがバンドになっていろんなミュージシャンが関わることで、自分の意図しないものになるんじゃないかって恐怖があったんです。

 

──それを刺激と捉える人もいると思うんですが、角谷さんにとっては恐怖だったんですね。

 

角谷:ダメな曲になっても、自分が全てやっていたら納得がいくじゃないですか。それが他のミュージシャンとうまく共感できないと全部崩れていっちゃうと思っていたんですよ。でも、実際はスタジオで少しアイデアを投げてみたりすると、その人たちはその人たちなりに楽器をやってきているので、もっと面白いアイデアが出てくるんですよね。いろんな人とやる上で、他人のアイデアを引き出して、自分が想像もしなかった方に転がっていくのが面白いなと思うようになったんです。その場でうまくグルーヴとかができるとすごく嬉しいんですよね。桶田くんはデモの完成度を高く作ってくるんですけど、僕はコードとちょっとしたキメと仮歌だけの弾き語りで持って行きました。

桶田:僕はめちゃくちゃ不器用で、作りたいと思ったものがなかなか作れなくて、結局ギリギリまで引っ張るタイプなんです。やっぱり持って行く時には完成度を高めたいなというのが強いんですよ。音数を多くしておいた方がアレンジの段階でもわかりやすいと思うし、大人数での演奏の時にも雰囲気が掴みやすいかなって。あと自分が弾き語りのデモを絶対作りたくない、作れないっていうのもあるから。だから演奏面で聴こえがいいようにして渡す。結局は少し変わっちゃうんですけど、それが楽しみでもあるんです。

角谷:後から俺が変えちゃったりするもんね。

桶田:あれはすごかった……(苦笑)。

角谷:「摩天楼」の間奏ではアル・クーパーの「Jolie」のみたいなオルガンが出てきますけど、桶田くんが持ってきたものは全く違う感じで。

桶田:尺だけが一緒。

角谷:「スタジオに来ない間にJolieみたいになってた」って(笑)。

  

──セッション、プリプロをした段階で、サポートの方に色々指示は出しました?

 

角谷:確実なイメージが定まっているものは指示して、悩んでいる所はサポートに投げて、返してもらったものを拾っていくというような感じでした。音楽学科にいるということもあって、サポートの大半が友達連中なんですけど、それぞれバックボーンがあって引き出しを持っているので、そういう環境を活かしたかったんですよね。

 

──演奏面の多様さがサポートの人の多さにも表れていると。

 

角谷:でも、サポートの人は僕らの通ってきた音楽を通ってなかったりするんですよ。だから共通点を探すというか、例えばドラムの人がスティーヴ・ガッドとか、ジェフ・ポーカロが好きだったら、「それならこうやってみて!」とか。共通する音楽を聴いていない人でも、その人の感覚で消化していってくれるので面白いニュアンスになったりするんです。みんな結構新しい音楽を聴いているので、そういう所の面白さはありましたね。

 

キリンジのメンバーでもある千ヶ崎学(ba)さんがサポートで参加しているというのは、僕自身キリンジ好きということもあって驚いたんですが、どういう繋がりで参加が決まったんですか?

 

角谷:楽器の録音はできる限り自分でマイクを立てて録っているんですけど、ドラムを自分で録音するのが不安だったので、東京のしっかりしたレコーディング・スタジオで録りたいと思っていたんです。でも、大阪で声をかけたサポートの人に東京まで移動してもらうお金がない。だから「東京で僕らの音楽性に合うミュージシャンはいますか」って感じで色々集めてもらったんですが、そこに千ヶ崎さんの名前があったんですよ。最初は「えっ?」って(苦笑)。お会いしたら、僕が何を言うでもなくすんなり「こんな感じね」って弾いていただけて。最後は「ずっと音楽続けていってください」と言ってカッコよく去っていかれました(笑)。本当に名前も知らないような無名のインディーズ・バンドなのに、嫌な顔ひとつせずにやっていただいて。……器のデカさを感じました。

 

──そのレコーディングの時に東京に行ったのは角谷さん1人?

 

角谷:僕と桶田くんですね。他にもシーナアキコ(rhodes)さんとかヤマカミヒトミ(sax)さんとか、越智祐介(dr)さんなどに参加していただきました。みなさん僕らより10歳以上歳上なんですけど、本当に人柄がものすごく良くて、もちろん僕らのやりたい音も理解していただけて。僕らだけでやってるとイメージを形にするのに時間がかかるんですけど、みなさん何も言わずにさっと演奏されるんですよ。大阪のサポートの人に「東京の人はこんな感じだったよ」って伝えると、「マジかよ……俺たちも頑張らないと」って連鎖反応があったりしましたね。

 

──その後は東京で録ったものと、大阪で録ったものとをデータでやりとりして。

 

角谷:そうですね。最初は大阪で録ったものも全然自信がなかったんですけど、案外「録り音良いよ」って言われて。「風色メトロに乗って」と「ピクニックは嵐の中で」はドラムも大阪で録ったので、ちょっと音が違っていて、若干濁った感じです。大学の練習スタジオで録ったんですけど、その雰囲気は出たかなって。

 

いいですね、そういう裏話は。ところで、全曲作詞は男性陣じゃないですか。いえもとさんはヴォーカルとして、詞を書かせてほしいというのはなかったんですか?

 

角谷:「書いて!」って時はありましたけど。

いえもと:そういう気持ちはありますけど、得意ではないので……。

 

──これまで歌詞はほとんど書いたことがない?

 

いえもと:完成させたのはほとんどないですね。

 

収録曲すべてが「あなたとわたし」の話じゃないですか。男性視点のものもあれば、女性視点のものもある。特に男性視点のものを歌う時なんか特別な感覚があったりしませんでしたか?

 

いえもと:うーん……。

角谷:よく「この登場人物はどんな人なの」って訊かれますね。その登場人物の感覚で歌ってくれていると思うので。やっぱりちょっとずつ声が違うんですよ。

いえもと:フフフ(笑)。

 

今回のアルバムを聴いて、メジャー流通でもない1stでいきなりあれだけのストリングスのアレンジがあって、管楽器が入ってというのもまたすごいなと思ったんです。アルバムを作る上での狙いはどういうものだったんですか?

 

角谷:漠然とした目標は、長く愛され続ける音楽。時代に残っているようないつ聞いても色褪せないものを作りたいねっていうのがあって。'70年代から'80年代初頭の楽器の響きが好きで、その辺りの音色に近づけたかったんです。結局ほぼ趣味みたいな感じになっちゃったんですけど(苦笑)。まさかこんなに聴いてくれている人が多いというのは驚きました。

桶田:フフフ(笑)。

角谷:Web Vandaでウチ(タカヒデ)さんに色々書いていただいているんですけど、ああいう風に、例えばアル・クーパーの「Jolie」のオルガンの引用だとか、~っぽいとか、聴いている人が元ネタみたいなものを分かるように今回はやってみたかったんです。曲作りでは大滝詠一さんの分母分子論を参考にしていて、それを今の録音環境でやってみるとどういう音に仕上がるのか、という実験でもあったんですよ。

 

 

 

 

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ウワノソラ インタビュー #2

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インタビュー中にお邪魔した奈良のレコード店「ジャンゴ」にて。

 

 

──皆さん大学では音楽を専攻されていたということなんですが、大学の音楽学科というと、かなりその先に影響する進路じゃないですか。みなさんはどのタイミングで「音楽やりたい!」という気持ちになったんですか?

 

いえもと:(角谷さんに促されて)えっウチから?

角谷:いや、そういえば聴いたことないなと思って。

いえもと:……なんですかね。中学校から高校に上がる時に単純に「勉強したくないな」と思ったんですよね。高校ではいくつかコースが選べて、その中に音楽コースがあったんです。音楽の経験は小学校~中学校手前くらいまでピアノを習っていた程度なんですけど、まあ歌うのは好きやしって感じで音楽コースを選んで。で、大学どうしようかって時に、大学も歌で行こうと思って音楽学科に入ったんですよね。

角谷:僕は音楽家を目指していたというか、未だにわからないんです。もともと普通の大学に行って勉強しようと思っていたんですけど、高校を卒業してからの2年間は何もしていなかったんですよ。全てのやる気が起きなくなって。当時神奈川に住んでいたんですけど、もともと四国辺りに憧れていて、南の方に行きたいなっていうのはあったんです。そうしているうちに今の大学を見つけて入学したんですけど、最初は2年くらいで神奈川に帰ってもう一回やりなおそうと思ってたんですよ。そしたら今まで居続けちゃったという(笑)。ガッツリ音楽で行くぜって気持ちは全然なかったですね。

 

──桶田さんはいつごろ音楽をやろうと思ったんですか?

 

桶田:中学2年くらいですね。僕がめちゃくちゃ小さい頃から、アングラフォーク、中川イサトさんとか、西岡恭蔵さんとか、あの辺りを父親が家で流していた記憶があるんですよ。父親はギターも弾いていたので、それの影響とまでは言わないですけど、いつでも弾ける場所にギターはあったんですよね。自分もエレキ・ギターを中学2年くらいに買って。……高校1年の終わりくらいの頃に、テレビで奥田英朗さん原作の『イン・ザ・プール』を見て、そのエンディング曲がシュガー・ベイブだったんですよ。それを聴いて「これや!」みたいな。

角谷:「DOWN TOWN」ね。

桶田:そう「DOWN TOWN」。ラストシーンが大滝詠一の「ナイアガラ・ムーンがまた輝けば」で、その流れを聴いてグッときたんですよね。今の形があるのはそれを観たからだと思うんですよ。

 

僕の場合なんですけど、思春期にミュージックステーションとか、そういう音楽番組が全盛で、毎週見ておかないと学校で話題に入れないというのがあって、押し付けられるようにいろんな曲を好きになっていった記憶があるんです。それが桶田さんの場合は、小さい頃からお父様の影響で、しっかりした音楽の基盤みたいなものがあったということですよね。誰かに強要されたような気分ではないというか。

 

桶田:でもバンドをやり始めたきっかけはBUMP OF CHICKENなんですよ。初めて買ったCDも確かそうでしたし。それからは色々と手当たり次第、例えば4人組のバンドと条件を決めたりして、片っ端から聴いたりしていたんです。すると、くるりとかを聴くと細野晴臣とか、そういう名前が出てくるのでまた聴いて……そうやって幅を広げているうちに、今思えばなんですけど、だんだんとティン・パン・ファミリー寄りのものが好きになっていったんですよね。そういう所から入っていったんですけど、それぞれルーツがものすごいじゃないですか。例えばシュガー・ベイブにしても、ユーミンの初期のアルバムのコーラスをやっていたりとか。細野晴臣繋がりで西岡恭蔵の「ろっかまいべいびい」を知って、家に帰ったらそのレコードがあったりして聴いたりしていました。だから無理矢理聴こうというのはなかったですね。

 

早い段階で音楽に傾きかけていた2人(桶田・いえもと)と、なんとなくきちゃった角谷さん、という感じなんですね。

 

角谷:音楽自体はめちゃくちゃ好きだったんですよ。毎週音楽雑誌を読んだり、小さい頃から学校をサボってラジオを聴いたりしていたんです。

 

──そのラジオではどういう曲がかかっていたんですか?

 

角谷:スティービー・ワンダーの「Overjoyed」とか、ジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズの「Up Where We Belong」とかを聴いて「カッコいい!」って。そういう大人の世界に憧れていたんです。

 

桶田さんといえもとさんが邦楽をメインで聴いてきていたのに対して、角谷さんは洋楽フリークという感じですね。

 

角谷:僕も小学校の時には小室ファミリーとか、ミスチルとかスピッツを聴いていたんですけど、そういうのとは別でオールディーズとかが好きだったんです。コンピレーションを聴くとメロディーが良いものが入っているじゃないですか。ママス・アンド・パパスの「California Dreamin’」とかをずっと聴いていたんですよね。レッド・ツェッペリンやデイヴィッド・サンボーンとかも……あんまりどれか一つに傾倒するっていうのがなくて、そういうのが小学校の頃に全部一気に入ってきちゃったんですよ。中学生になるとだんだん自分の趣向が分かってきたんです。「俺はどうやらAORってジャンルが好きらしい」って(笑)。それでタワーレコードに行って、フィニス・ヘンダーソンの『FINIS』ってアルバムとか、ジミー・メッシーナの『OASIS』みたいな、海辺っぽい大人の感じに憧れていたんですよね。今はロードショーって廃れちゃったけど、その当時はロードショー時代が生きていた感じがするんですよ。そこで例えばターミネーターでシュワちゃんがバーに行ったときにかかっている音楽とか、車で飛ばしているときの音楽とか、そういう'80年代の世界がすごくカッコ良かったんですよね。ずっと憧れていたんです。

 

──いえもとさんには、具体的な名前でこれがきっかけ、というのはありますか?

 

いえもと:うーん。……中学の時とかはずっとクラシックバレエをやっていて、バレリーナになりたかったんですよ。なのでバレエ音楽ばっかり聴いていたんですよね。

 

そんな過去があったんですか……! でも、それが高校受験で進路を迫られたときに、グッと音楽の方へ傾くわけじゃないですか。

 

いえもと:この人に憧れてというのは特にないんです。初めて人前で歌った曲は、高校受験のときの課題曲だった夏川りみさんの「涙そうそう」だったのは覚えているんですけど。……やっぱりお父さんがユーミンを好きで、よく一緒に聴いていたのはありますね。でも、ユーミンばっかり聴いていたというわけでもないですし……。

角谷:安藤裕子は?

いえもと:安藤裕子も大学入ってから好きになったしなあ。どちらかと言うと、女性の声よりは男性の声の方が面白いなと思っていたんです。具体的に誰というのは……やっぱり思い浮かばないですね。 

 

でも、やっぱりユーミンという名前が挙がるだけで、みなさんのバックグラウンドにゆったりと繋がるものが見えたように思います。

 

 

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ウワノソラ インタビュー  #1

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左から角谷博栄(gt,songwriting)、いえもとめぐみ(vo)、桶田知道(gt,songwriting)

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 関西在住の僕がシティ・ポップという言葉を初めて聞いたのは、ちょうど地元の奈良から大阪の大学へ通い始めた頃だった。“シティ”という響きにいまいちピンと来なかったのは、“シティ=東京”というイメージを持っていたからだろう。身近には対抗都市としての大阪があったが、それは決して“シティ”と呼べるような洗練されたアーバンなイメージはなく、無理矢理栄えさせたようにごった返した急造の“地域”にしか思えなかった。ただ、その違和感が“シティ”に対する憧れのようなものを引き起こしていったのも事実で、ある程度大阪という街を知り、「東京はどんなところなんだろう」と想像を膨らますにつれ、音楽の趣向もシティ・ポップへと寄り添うようになっていった。またそれと同時に、頭の奥底では「シティ・ポップは東京近郊に住まないと分からないのではないか」という、悔しさにも似た疑問が肥大してゆくのも感じていた。

 

 個人的に興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりする当ブログ『FUKUROKO-JI』。初回を飾る関西在住のウワノソラは、角谷博栄(gt,songwriting)、いえもとめぐみ(vo)、桶田知道(gt,songwriting)によるトリオ・バンドだ。2012年11月の結成からわずか2ヶ月ほどの期間で8曲入りのデモ(未発表)を制作し、今年7月に初の流通盤である1stアルバム『ウワノソラ』を、ハピネスレコードよりリリースした。
 僕が彼らの存在を知ったのは、奈良のレコード店「ジャンゴ」店主の松田さんが、ツイッターで『ウワノソラ』を絶賛されていたのを見たことがきっかけだ。早速手に入れて聴いてみると、インディーズ・バンドの1stアルバムとは思えないその楽曲/アレンジの素晴らしさに打ちのめされた。ぜひ彼らの曲作りやアルバム収録曲について聞きたいと思い、ダメで元々、インタビューの依頼を出したのだが、もちろんその裏では、東京近郊以外の地域からシティ・ポップを発信した彼ら自身について知りたいという下心があったのも付け加えておく。
 今回は、去る9月2日に行なった彼らの初となるインタビューの模様を、数回にわたってお届けする。最終回にはインタビュー当日に挨拶も兼ねて伺った「ジャンゴ」松田さんと、居合わせた常連のお客様からいただいたコメントも掲載予定。また、『ウワノソラ』収録曲についてはWebVANDAウチタカヒデさんがかなり詳細に考察されている。ぜひそちらもご参考いただければ幸いだ。

 

どこに住んでいようがこの3人が集まっていたらこういう音楽をやっていたと思います。(桶田)

 

──まず、バンド結成に至った経緯を教えていただけますか?

 

角谷:もともと桶田くんとは大学ですごく仲が良くて、教職の授業で出会ったんだよね(笑)。山下達郎さんのRCAのライヴ(PERFORMANCE 2002 RCA/AIR YEARS SPECIAL)のパーカーを着て授業を受けていたら、桶田くんが「山下達郎好きなの?」って声をかけてくれたんです。話していくうちに音楽の趣味が似ていることが分かってきて。
桶田:フフフ(笑)。
いえもと:私は2人と面識はなかったんですけど、大学のオープンキャンパスのステージに出るための音源審査があって、それ用に録っていたepoさんの「キミとボク」を歌ったデータを聴いて2人が誘ってくれたんです。
角谷:他にもいろんなヴォーカルが候補に挙がっていたんですけど、R&Bみたいにしゃくったり、黒人っぽい歌い方をする人が多かったんです。いえもとさんはその中で一番フラットでピュアだったし、ソプラノっぽい声が欲しかったのでピッタリだったんです。

 

──メンバーは最初から3人で固まっていたんですか?

 

いえもと:いや、最初は、なんかもっといっぱい人がいたんですよ。
角谷:大学で一緒だった友達と、卒業の記念に作品を作ろうって集まったんです。もともとは友達連中で1人の女の子に歌ってもらって、作品集を作りたいねって感じで。最初は桶田くんがアレンジャーとして君臨していたんですけど……。
桶田:なかなか進まず……(苦笑)。
角谷:いえもとさんにも声をかけていたのに、何も進んでいなくて申し訳なくなってきて、2012年の11月に「僕がアレンジャーやるから」って言って曲をみんなから集めたんです。その中でもあんまり気に入らないというか、そういう曲は作家に「これはできないよ」って言って。そうしていくうちに残ったのがこの3人だったんです。

 

──もともとは気軽な記念のつもりだったのに、曲を集めた段階でダメ出しをしたんですか。

 

角谷:やっぱりこだわってやりたかったんですよ。最初に作ったデモで終わらせるつもりが、納得いかなくて今回の『ウワノソラ』を作ったので。
桶田:メンバーが3人で固まってから、すぐに角谷さんの家に2週間泊まりこんでデモの曲作りをしたんです。

 

──そのデモというのは、「Umbrella Walking」などが収録されているものですね。結局、未発表になったということなんですが……。

 


ウワノソラ - Umbrella Walking - YouTube

 

角谷:それぞれの曲のルーツがバラけていて、カントリーもあり、ジャズっぽいのもありで、バラエティーに富みすぎてて、1枚のものとして聴きたくないなと思ったんです。
桶田:まったく流通とかも考えていなくて、とりあえずしっかりした形に仕上げたいという所で止まっていたんですよね。
角谷:デモの録音が終わった後、ミックスとマスタリングは東京でいい感じに仕上げてくれる人にお願いしたいねって話をしていて、流線形のCDの裏に書いてあった番号に電話をしてみたら、それが『ウワノソラ』をリリースしたハピネスレコードさんだったんですよ。そこでハピネスさんが「もうちょっと方向性を揃えたのができたらうちで出してよ」って言ってくださったので、今回の『ウワノソラ』の曲作りを始めたんです。レコーディングが長引いちゃって、結局このタイミングになっちゃったんですけど。

 

──『ウワノソラ』収録曲が出来上がったタイミングはいつだったんですか?

 

角谷:曲作りは2ヶ月で終わったので、2013年の2月には揃っていましたね。

 

ということは、2012年の11月にデモを作り始めて、3ヶ月後には『ウワノソラ』の曲も完成していたんですか……。とんでもなくハイペースだと思うんですが、実際『ウワノソラ』はレコーディングもろもろでその後1年半ほどを要して、今年7月のリリースになったということですね。

 

角谷:サポート・ミュージシャンが多いので、日程とかがなかなか合わなかったんですよね。
いえもと:でも歌録り自体は今年の1月末には終わったよね。
角谷:そうだね。そこからリリースまでが本当に長かった……。なので、今出している曲は結成から半年くらいで作った曲ばかりなんですよ。

 

──ちなみに、バンド名ってどういう風に決まったんですか?

 

角谷:これはいろいろあって……。去年ルルルルズさんと対バンがあって、それまでにバンド名を決めなくちゃならなくて。

 

──その段階では決まってなかったんですか。

 

角谷:決まってなかったですね。色々書き出して、流線形のクニモンド(瀧口)さんにも相談したんですけど、「“冷やし中華はじめました”にすればいい」って言われて、僕も「それ良いですね」って言ってたらレーベルの人に「何言ってるんだ」って怒られて(笑)。結局松本隆さんの小説の『風のくわるてつと』から「うわのそら」って単語を取ってきたんです。いえもとさんが「それを全部カタカナにしたら、字面がカタカナのノが並んでいるように見える」って言って、それ面白いじゃんって。

 

あ、確かにそう見えますね、面白い。音楽的にはシティ・ポップっぽいと言われると思うんですが、あまりこういう音楽を関西で、しかも若い人となると、最初はイメージが余り湧かなかったんです。

 

桶田:土地柄のイメージっていうのは、やっぱりライヴのシーンだと思うんですよ。その土地土地でライヴのシーンがあると思うんですけど、僕たちはあまり外に出ないグループなので、周りの流れに影響されない、好きなモノがズレないというか。だから、どこに住んでいようがこの3人が集まっていたらこういう音楽をやっていたと思います。

 

 

 

 

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