FUKUROKO-JI

興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりするブログです。Mail : fukurokojimodame@gmail.com

桶田知道 インタビュー #4

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角谷さんは多分僕よりも『丁酉目録』が好きなんじゃないですかね(桶田)

 

──僕は前回のウワノソラの1stが出た時のインタビューで君たちに出会って、そこから事ある毎に話したり、ライブのお手伝いとかもしたり、色々と接してきましたけど、そこでちょっと疑問があるんです。アルバムの話からは一旦外れますが、お二人はウワノソラはバンドという認識ですか? 

 

桶田:ハハ どうですか。

 

いえもと:バンド……え?

 

──ホームページにはバンドと書いてあるんですけど、なんというか、あんまりバンドという感じには見えないというのが、僕がこれまで君たちと接してきての印象なんです。ライブをほとんどしてないからとか、メンバー3人揃っての活動が滞っているというのもあるんでしょうけど、なんででしょうね。

 

桶田:いや、僕もバンドという認識はないですよ。やっぱりオリジナルメンバーで音源がある程度再現できる、ライブができる、というのが“バンド”の定義だとしたら、どちらかというと、作家とヴォーカリストのチームなのかなという感じがします。

 

──僕もそういう感じがするんです。

 

桶田:演奏家の寄り合いというか。

 

いえもと:じゃあ何ていうの?

 

桶田:グループですか。

 

いえもと:

 

──でも、ウワノソラウワノソラ’67”桶田知道とそれぞれ構成人員は違っても、裏では綿密に連絡を取り合って、それぞれのプロジェクトでもかなり情報を共有しているんでしょう? そのあたりが不思議な関係だと思うんです。なんというか、せっかく違うプロジェクトにして、角谷くんと桶田くんがお互いに干渉せず、それぞれやりたいことをやっているように見えて、裏ではしっかりと1つの塊になっている。

 

桶田:そうですね。僕は角谷さんの耳をすごく信頼しているので、まずは聴かせてみるという感じですけど。角谷さんの曲にしても、すごくディスカッションするんですよ。それゆえに連絡は常に取り合ってますね。

 

いえもと:お互いが常に信頼し合っているというか、角谷くんも「自分を理解してくれるのは桶田しかいない」って言うし。

 

──僕と話していても、それをしょっちゅう言っているんです。そういう話を聴くと、今回の『丁酉目録』が出て、やっとバンドと呼べるようになったのではないかという気がしているんですよ。ウワノソラとしての1st、角谷くんといえもとさんの’67、そして今回と、やっていることが対等になった今だからこそ、というか。

 

桶田:そうですね。スペシャルサンクスにも角谷さんの名前を載せますよ。自主制作の流れを’67でやっているぶん、実務の面でもすごく頼りになるんです。僕なりに考えたことを一度吟味してもらって、っていう時に「ここはもっとこうしたほうがいい」というようなアドバイスをもらったり、考えが追いついていない時には二手三手先の提示をしてもらったりして、なるほどなと。自分一人で抱え込むと見えなくなってくる部分っていうのは確実に存在するので、ありがたかったですね。頼りきっているぶん、自分の意見の脆弱さに凹むときもありましたけど、良いアイデアは率直に良いと言ってくれるので自信にもなりますし。

 

──褒めるときは褒めると。

 

桶田:全然褒めますね。

 

──今回はけっこう褒められたんじゃないですか。

 

桶田:多分僕よりこの作品を好きなんじゃないですかね。でも、僕は僕で今回アルバムを丸々作ってみて、改めて角谷さんの曲のほうがいいなあって思ったりもしますけど。ちょっとかなわない部分がありますからね。確かに角谷さんにはこの曲は作れないだろうなって思うけど、逆も然りで。

 

いえもと:どっちがいいというのはないからね。

 

──そういう意味でも、今回『丁酉目録』が出て、曲の作り方が違う2人が混ざることによって、いつの日か出てくるウワノソラの2ndにも期待してしまいます。……ところで、今回のリリースに当たってライブはしないんですか。

 

桶田:その質問は、いつもツイッターとかで対応しているいえもとさんのほうが返すの上手いですよね。

 

いえもと:本当にやりたいんですけど、今のところ予定はないですね。笑

 

──難しい部分も多いとは思いますが、期待しています。最後にどうしてももう一回伺いたいんですが、自分で歌った『歳晩』をラストに入れたのは、ようやくリリースまでこぎ着けた気持ち、それこそ「俺の年明け迎えたわ」みたいな、そういう意図はなかったんですか。

 

桶田:ない。

 

いえもと:

 

──そうですか……。勝手ながら「絶対にそういうことや!」と思って、インタビューする前からこれでオチを付けてやろうと思っていたもので。

 

桶田:じゃあ、そういうオチにしましょうか。

 

──いやいや。

 

桶田:曲にしても曲順にしても、あんまり深く聞かれると答えられないくらいにライトに考えてるんですよ。『歳晩』がその曲順になったのも、おっしゃるように、もしかしたら僕の深層心理が働いたのかもしれないですし。でもそういう意図はありません。

 

──さっきアルバム名を決めるときに、角谷くんが桶田開眼とか、そういう言葉を候補に挙げていたっておっしゃったじゃないですか。そういう意味でも、僕と感じたのと同じようなことを感じたんじゃないかなって思うんです。

 

桶田:……話を聴いているうちにそういう風に思えてきましたよね。

 

一同:笑

 

──じゃあとりあえずそういうことにしときますんで、気が変わったら言ってください。

 

 

<了>

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桶田知道 インタビュー #3

 

こんな曲聴いたことない、桶ちゃんこんなことできるんや、って(いえもと)

 

──『歳晩』は『あそび』(ライブ会場と通販で販売したデモCD-R)に収録されていた、もともといえもとさんのヴォーカルの曲だったんですが、今回は桶田くんがヴォーカルになっていますね。

 

桶田:そのまま流用するよりは、僕のヴォーカルでやったほうがいいかなと思っただけで、特に深い意味はないです。

 

──他にも『モーニング』『チャンネルNo.1』でも桶田くんが歌っていますが、これも今回のアルバムでびっくりした点なんです。ウワノソラではリード・ヴォーカルはいえもとさんだったじゃないですか。今回桶田くんが歌おうと思ったことには何か理由があるんですか。

 

桶田:歌えたらカッコいいじゃないですか。笑 いえもとさんもウワノソラとか’67で歌ってきたのと同じ気持ちでは歌えなかった、というか僕の曲とか歌詞を知ったときにちょっと困ったと思うんですよね。

 

いえもと:まあ、何コレとは思った。フフフ

 

桶田:このプロジェクト自体も、もともといえもとさんをヴォーカルに立ててというプロジェクトだったんですけど、僕の名前のソロということになったので、歌おうかということですよね。可能ならばもっと自分が歌える曲があればよかったんですけどね。もし次があるなら、そのときはどうなるかわからないです。

 

──今回はとりあえず歌えたらカッコいいかなという理由で。

 

桶田:というのもありますし、何曲かは僕が歌ったほうが上手くハマるかなというのがありました。『モーニング』『チャンネルNo.1』に関してはハナから自分で歌うつもりで作ったんですよ。

  

──これまでウワノソラにおいても桶田くんが作る曲というのがあまりなかったというのもあるけど、改めて桶田くんの歌詞を読んでみると角谷くんとは切り口が全然違いますよね。

 

桶田:切り口は勿論変わってくると思うんですけど、わかりやすい違いとしては「視点」の部分なのかなと思っています。これは角谷くんから言われて気づいたんですけど、僕の歌詞は、特に意識したわけではないんですけど、一人から見た“主観”的なものっていうのがあまりないんですよね。主人公がいても、それを俯瞰しているものが多くて。感情の動きというか、心の中で動くものっていうのが見えない、あくまで景色の中の人間の動きを観察しているような感じというか。

 

──角谷くんが映画的というなら、桶田くんは小説的ですよね。さっきの起承転結を付けたいという話があったけど、どの曲もラストがぼんやりしている印象で。映画って結構しっかりオチがついているけど、純文学ではぼんやりしていることも多い。

 

桶田:歌詞という短い文章の中で「結」の部分をぼんやりさせたり、含みをもたせるというのは、文章としては少し不親切なのかもしれないですけど、メロディに乗せるという前提だからこそ様々な印象を持たせることができると思うし、歌詞とメロディの相乗効果で受け取る側の印象も多様化すると思うんです。僕自身、そこが歌詞の醍醐味だと思っています。だけど今回のは歌詞だけだと全曲後味悪いですよね。

 

──たしかに『チャンネルNo.1』までの6曲は後味悪いですけど、その後は全然後味悪くないですよ。『チャンネルNo.1』までは全部救われない話じゃないですか。

 

桶田:ハハハ そうですね。

 

──『チャンネルNo.1』までは、架空の物語のコンセプトが出来上がった世界観なんだけども、以降の3曲は桶田くんが主人公になっているという印象なんです。歌詞の内容としても救いがあるから、アルバム全体を通して聴くと、途中まではたしかに暗いんですけど、結果として晴れやかな気持ちになるというか、不思議な感覚がしました。

 

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──いえもとさんは先ほど桶田くんの曲を聴いて驚いたと言っていましたが、実際に歌ってみて歌いにくかったりはなかったですか?

 

いえもと:何か、あんまり歌ってきたことがないというか、曲自体を初めて聴いた時に「こんな曲聴いたことない、桶ちゃんこんなことできるんや」っていう驚きがあったんです。これはすごくいい意味なんですけど。それで練習しているうちに、どう歌ったらいいんやろうっていうか……全体的には無機質な方がいいなって思ってはいたんですけど、歌ってると桶ちゃんの仮歌の方が良かったんじゃないかなって悩んだときもあったし。

 

桶田:ありがとうございます。笑 普段は全然、僕のことなんか褒めてくれないので。

 

いえもと:褒めてるやん。笑

 

──初めて褒められましたか。

 

桶田:こういう、インタビューって若干フォーマルな場所じゃないですか。

 

一同:笑

 

桶田:そういうところで褒められるというのがね。

 

いえもと:なんでやねん、そんなことないやろ。笑 でも「この曲はAメロとサビが二重人格でいい」とか、指示があった曲とかもあります。

 

──もう少し具体的な指示を出したりしました?

 

桶田:歌い方のニュアンスが大きいんですけど、3曲目の『誰も知らない』は展開で歌い方がガッと変わるんですよね。最初は可愛く歌ってもらって、Bメロに入ったら突然暗く歌ってもらうとか。特に深くは考えてないんですけど、メロディの起伏であったり流れであったりに合わせたりしました。アルバム前半は後味悪い系の曲ばかりで、ヴォーカルにすごくエフェクトをかける前提でやっていた部分もあるので、歌い方も1曲通して歌い上げるという感じではなく、細かく刻んで録りました。ライブで再現するということを考えずに作っているので、曲によってはある種ギターとかピアノとか、そういう楽器の1つとして歌を捉えるということもありました。

 

いえもと:レコーディングしながら「こういう方がいい?」って相談しながら。

 

桶田:ボーカルのことをあまり考えずに曲を作ってしまったので、もしかすると非常に歌いにくい曲ばっかりだったかもしれないです。僕も実際にいえもとさんの声が入ってみないとわからない部分もあったし、明確にどういう歌い方が正解かというのがなかった。だから、歌い方という点で別にこだわりはなかったです。いえもとさんの普段の歌い方でこういうものになった、という。

 

──やっているうちに、曲にハマる歌い方を見つけていく、という感じですか。

 

桶田:そうですね。歌詞の中で感情的な言葉は使っていなくて、人間の温度的なものがあまりないんです。さっき言ったように主観ではなく俯瞰視点な表現が多いからというか、状況が先に伝わるようなイメージですよね。どちらかというとオケに合わせることが優先だったので。

 

──いえもとさんはそのやり方に違和感はなかったですか。

 

いえもと:そうですね。全体的にキッとしたというか、強い……なんというか、柔らかい感じではなかったから。歌詞をもらったときに、知らない言葉が多くていっぱい調べて、へえと思って勉強しながら。笑

 

──そういった難しい言葉を含めて、今回の歌詞で使った言葉はどこから出てきたんですか。

 

桶田:すごく味気ないですけど、Weblio辞書なんですよね。要は例えば九夏なんて典型的なんですけど、最初に猛暑で調べて、その類語に九夏が出てきた、みたいなパターンは結構多かったですね。あとは『陸の孤島』に出てくる皮下脂肪とか、言葉自体は知っているけど、実際に会話の中で使うかと言われると使わないような、突然出てくるとギョッとする言葉は入れたかったんですよね。

 

──“腹這うとかもそうですよね。

 

桶田:腹這うキリンジ(『地を這う者に翼はいらぬ』)からですけどね。腹這いのララバイですから。いいダジャレやなって。

 

──やっぱり、そうだと思いました。キリンジの名前が出たので伺いますが、今回の『丁酉目録』を作っている時に、どんな音楽を聴いていましたか?

 

桶田:一番新しいキリンジの『ネオ』と、ムーンライダーズ全般。そこから派生してXTCとかですね。ゲームのサントラとかも聴いていましたね。戸川京子戸川純の妹)のアルバム買ったりとか。細野(晴臣)さんと(高橋)幸宏さん、コシミハルとか、あの辺りを聴いていましたね。今回のアルバムのサウンドで反映している感じはないんですけど。

 

──いえもとさんは歌入れの際によく聴いていたアルバムはありますか?

 

いえもと:ええっ! なんやろう。

 

──特に意識していなかったですか。

 

いえもと:歌入れに関して参考にした、とかそういうことですか?

 

──そうです。そういうのは全然なかったですか。

 

いえもと:こういう風に歌おうとか、そういうのは全くない。

 

桶田:もともと、いえもとさんにはそういう感じはないですよね。

 

──前のインタビューでもそうおっしゃってましたよね。今回のアルバムはこれまでの曲とは違う部分が多いから、何か変わるところがあったかと思ったんですが。

 

桶田:意識し始めるとあんまりよくなかったりしますから。例えばウワノソラがウワノソラたりえるのは、いえもとさんの変わらないスタイルであったりしますし。こういう感じのジャンルだから、そういう歌唱スタイルで、っていうのは良い場合もありますけど、そのグループそのものを好きな人からすると、やっぱり変わらない方がいい。それが魅力になっているという部分はあると思うんですよね。

 

──いえもとさんは若干気恥ずかしそうな、嬉しそうな感じで聞いていますが。

 

いえもと:フフフ。

 

──発音が難しい部分はなかったですか? 一つの音にダダっと言葉を詰めるのは、これまでウワノソラにはなかったですよね。

 

桶田:デモを渡したときにうまく意思疎通ができていなくて、いえもとさんが僕の意図とは違う言葉のハメ方をしていたことがあったんです。そもそもメロディが違ってるとかもありましたけど、そういうのは修正した部分もあるし、いえもとさんのが良ければそちらに合わせたりしました。そもそも僕の仮歌がひどかったというのもあると思うんですが。笑

 

いえもと:一番難しかったのは『誰も知らない』でした。滑舌があまり良くないのに、1行目から言葉が詰まってるから。

 

桶田:『誰も知らない』はもともとメロディだけが先にあって、メロディと文字数とを合わせて歌詞を考えるとああいう感じになりましたね。難しいとは思ったけど、ヴォーカリストやったら歌えるでしょうって感じで。笑 申し訳ございませんでした。笑

 

 

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桶田知道 インタビュー #2

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陸の孤島』では、田舎のイメージを牧歌的なものではなく、田舎の住人としてリアルなものを表現したかった(桶田)

 

  

──『丁酉目録』は歌詞のアルバムというふうに伺いました。

 

桶田:そうですね。そうなりましたね。

 

──アルバム全曲のデモを貰う前に、『Philia』『鉄の森のパッセージ』『有給九夏』『陸の孤島』だけ聴かせてもらってたんですけど、その時の印象は暗いなと。

 

桶田:ハハハ。暗かったですか。

 

──聴いている人のイメージとしたら、ウワノソラの1st『ウワノソラ』、’67の『Portrait in Rock ’n’ Roll』ときて、次も大筋はそういう路線かなっていうところだと思うんですよね。それを思うと暗いなと。加えて1曲目が『Philia』で、一番キツい歌詞じゃないですか。

 

桶田:確かにそうですね。歌詞での曲順はあんまり考えてなくて、曲調的に選んだんですけど。

 

──『丁酉目録』を買ってきて、1番最初にこれを聴くわけじゃないですか。色んな意味でびっくりするポイントがあると思うんです。サウンド的にも歌詞の面でも、これまでのウワノソラの流れとはぜんぜん違う。それに『Philia』はかなり性的な歌詞ですよね。

 

桶田:そうですね。

 

──だからなおさら1曲目かと思ったんです。

 

桶田:philia』は後から歌詞を付けたんですよ。Aメロの動きがその頃丁度聴いていたムーンライダーズ3rd(『Istanbul mambo』)の1曲目の『ジェラシー』のイントロの上がり方というか、そことちょっと似てるんです。それで1曲目っぽいかなと思って1曲目に選んだというだけなんですね。だから、アルバム前半中盤後半の歌詞の流れとか、1曲目っぽい歌詞とか、そういうのはあまり考えてないんです。もともとアルバム自体にコンセプト的なものはなくて、ただただ作品集のつもりなので。

 

──歌詞を書く時の着想の仕方というのはどういう感じなんですか。

 

桶田:philia』の歌詞については、例えば友達の誰々が浮気したとか、そういう話を聴いて、それを物凄くドロドロの方向に脚色していったという感じですね。アルバムの曲全体に言えますけど、何らかのモチーフがもともとあって、そこから広げていったというものが多いです。

 

──そのモチーフというのは、自分の体験にあるものはもちろんですけど、何かネタを仕入れるというか、そういう作業はしましたか。

 

桶田:5曲目の『鉄の森のパッセージ』とかは完全に実体験じゃないので、時事ネタというか、社会主義の国のイメージからですよね。でも、題材が題材なのでそれをそのまま書いてもアカンなというのはありました。そもそも最初は『鉄の森のパッセージ』という言葉の並びが先に出て、そこから歌詞を考えようと思ったんです。

 

──割と時事ネタとか、そういうものは使いたい方ですか。

 

桶田:単に冷やかしのようなものですね。6曲目の『チャンネルNo.1』も捉え方によってはすごく不謹慎な曲ですし。

 

──桶田くんはずっと奈良の、それも南のいわゆる田舎と言われるような所にお住まいですが、2曲目の『陸の孤島』は住んでいるところ何か関係がありますか。

 

桶田:ありますね。住んでいる町というわけではないですが、近くに下市町という町があるんです。そこは隣町と橋一本でつながっていて、それがライフラインになっているんです。高校生の頃に下市町に住んでいる人と「橋(ライフライン)を落とされたら終わりやな」って話をしていて、その中の誰かが『陸の孤島やな』って言ったんですよ。それで『陸の孤島』って面白いなって思うようになって、そこから歌詞の中の過疎地、島、海、というイメージになったんです。

 

──高校の頃から思いついていたネタだったんですね。

 

桶田:自虐ですけどね。どうしても言葉の並びが綺麗というか好きで、何かで使いたいなって思っていたんです。

 

──それは自虐という感覚なんですか。

 

桶田:都会の人の田舎のイメージ、それこそ田園風景のような良いものを思い浮かべる人もいると思いますが、そういう牧歌的なものではなく、すごくリアルなものを田舎の住人として作りたかったんです。そういう歌詞の曲はあまりないので、面白いかなと思ったんですよね。

 

──歌詞の中にもありますが、田舎に来ても遊びは盆踊りしかないぞと。

 

桶田:極論そうなんですよね。一行目の「子供達が描く故郷はベタ塗りのグリーン」はまさに見え方が違うというか、都会の人から見たら山々の緑ってすごい美しいものに見えるんだけど、そこに生まれ育った者からするとただの緑一色、何の感動もない。車で走っているときにそれを思いついて、そこからはパッと全部、曲と歌詞がつながってできあがりましたね。

 

──僕は桶田くんがアルバムを作り始めたって聴いた時に、こういう歌詞のものが出たらいいなあと思っていた歌詞のイメージと『陸の孤島』がぴったりだったので嬉しかったです。

 

桶田:良かったですね。 笑

  

──8曲目の『有給九夏』の「見知らぬ街へ書き置きを残し 自分の存在を明らかにした」という説明を見ると、さっきおっしゃっていたウワノソラ内での知名度がないとか、そういうところの存在証明をしたいという思いが歌詞にあるのかなと感じました。

 

桶田:ハハハ。そういうことではなく、歌詞の中での流れの文章ですね。曲の中のレッテルごとのメッセージよりは、1曲通しての起承転結、整合性をつけたかったんですよ。とは言え、ドラマを完結させるということでもなく、例えば『有給九夏』の詞の流れは、夜中に飛び出して朝方どこか海っぽいところに着いて、そこから折り返して帰るというものなんですけど、じゃあ海で何をさせようかな、という思考の流れですね。

 

──これまで角谷くんがよく使っていたというワードが出てきたのにも驚きました。

 

桶田:24号線(京都から奈良を通って和歌山まで続く国道)をずっと走ってると和歌山、海に着く。ただただその印象だけです。

 

──海は好きですか。

 

桶田:あんまり好きじゃないですね。奈良県民なので馴染みがないだけなのかもしれませんが。この曲は最初『心頭滅却』というタイトルだったんです。

 

──心頭滅却

 

桶田:心頭滅却すれば火もまた涼しってあるじゃないですか。サビの歌詞がこのイメージでなんですよね。それは最初から思っていたんです。

 

──アルバムの最後に、年明けのイメージの『歳晩』を持ってきたのは、ついにアルバムが出来たぞ、やっと出せた、長い闇がようやく明けたという気持ちの表れなのかなと思ったりしたのですが。

 

桶田:年末の歌なので一番最後かなあって。笑 それだけですね。『歳晩』はもともとアルバムに入れるつもりはなかったんですよ。さっき言ったように『歳晩』みたいなアプローチで一枚のアルバムをと考えていたので、曲が揃って、入れる必要性がなければ入れなかったんですけど、曲順を考える時に一番最後に入れたら『有給九夏』との流れが良い感じかなって思ったんですよね。あとはフェードアウトで終わらないというのもあるし。これを入れるなら一番最後って決めていました。

 

──フェードアウトでは終わりたくない。

 

桶田:なんとなくの印象ですけど、今回のアルバムにおいて最後の曲をフェードアウトにするっていうのはあまり効果的ではないと思ったんですね。

 

 

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桶田知道 インタビュー #1

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右から桶田知道(songwriting,arrange,treatment,and other)、いえもとめぐみ(vo)、

桶田知道 Official Web Site(https://oketat.wixsite.com/t-oketa

 

 

 ウワノソラの桶田知道が本格的にアルバムを制作している……その話を聞いたのは昨年の秋頃だっただろうか。いや、それより前かもしれない。そもそも、この話自体は随分前に出ていた話なのだ。ウワノソラが1stアルバム『ウワノソラ』を2014年にリリースし、流れるように翌年、角谷博栄といえもとめぐみによるウワノソラのスピンオフとしてのウワノソラ’67が2015年に『Portrait in Rock ’n’ Roll』をリリースした。本来であれば今作も、このウワノソラのスピンオフとしての流れの上の作品であるはずで、桶田といえもとによるタッグで『Portrait in Rock ’n’ Roll』と同時期のリリースが予定されていたのである。

 

 それがいざ出てみれば、名義は『桶田知道』というソロの様相を呈しており、タイトルは『丁酉目録』、その歌詞やサウンドは『ウワノソラ』『Portrait in Rock ’n’ Roll』に通奏低音として流れていた古き良きシティ・ポップ(少々乱暴な言い方ではあるが)とは趣の異なるものに仕上がっている。桶田知道その人の作品のイメージは、『ウワノソラ』収録の『摩天楼』であり、アルバム未収録の『Umbrella Walking』で表現されるような、生音の生演奏による透き通った美しい世界観に担保されたものだった。『丁酉目録』を一聴されると、すぐにそのイメージは頭から抜け落ちることだろう。生音はほとんどなく、大半が打ち込みによるサウンド・メイクとなっているのだ。

 

 しかしながら、である。そもそもこのウワノソラのスピンオフ・シリーズは、角谷博栄と桶田知道という二人のソングライターが、それぞれに思うものをそれぞれが納得する形でリリースするためのシステムであった。それが角谷の場合は大滝詠一に捧げる『Portrait in Rock ’n’ Roll』となり、桶田の場合はウワノソラの本流からは離れた『丁酉目録』として結晶化を遂げた、というわけだ。つまり、本来桶田の持っていた世界観は『摩天楼』『Umbrella Walking』のイメージではなく、今作で表現されるようなどこかギスギスした気まずさのようなものと、それを表現する打ち込み・宅録というスタイルだったのだ、と言えるだろう。

 

 ウワノソラにとっての初めてのインタビュアーという名誉に預かった2014年から3年。この期間に私は彼らとインタビュアー・インタビュイーという関係を超え、友人のように接してきた。年末には忘年会、春には公園でサンマを焼いて宴会、キリンジのライブに共に足を運ぶ……。彼らが『Portrait in Rock ’n’ Roll』リリースのライブを行なった際にはローディーとして参加もした。その中で私は彼らにとっての音楽について、恋愛について、様々な喜びや悲しみ、葛藤などもある程度共有してきたように思う。

 

 だからこそ、桶田が様々な問題を乗り越え、今作にたどり着いたことに他人と思えないほどの喜びを感じるとともに、このインタビューの終了後、今作は桶田が初めて自分の思うものを形にした一枚になったのではないかという、確信に似た気持ちを抱いている。

 

 

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桶田知道『丁酉目録』ジャケット

 

僕も乗せられた感じですよね(桶田)

 

──僕はリリースまであと2年くらいかかるものだとばかり思っていました。

 

一同:笑

 

──だって定期的に進捗状況とかを聞いてはいたけど、作れる雰囲気が一切感じられなかったんですもん。アルバム全体のデモをいただく前に、先行して4曲だけ聴かせてくれたじゃないですか。作っているという話を聞いてからこの4曲に行き着くまでに1年くらいかかっていたから、もう半分作るにはまた1年くらいかかるのかなと。

 

桶田:別に4曲を1年かけて作っていたわけではなく、1年の中で作れたのが4曲ということですよ。

 

──ある程度聴かせられるレベルに、ということですよね。

 

桶田:そうですね。曲自体は1曲あたり1日2日で作れたりするんですけど、そればかり1年間ずっとやっていたわけではなかったので、結果としてこの時期のリリースになりました。

 

──角谷くんから頻繁に、現状とか制作の進捗状況とかの電話がかかってくるんです。半年くらい前までは「何もかも全然進んでないよ」って言っていたのが、先の4曲を今年の頭に聴かせてもらったくらいから一気にダダっと出たじゃないですか。

 

桶田:そうですね。

 

──それはその頃に仕上げモードに入っていたということですか? ……いや、僕はまず最初に、前回からこれに至るまでの過程を聞きたいんです。

 

桶田:前回……

 

──なにか対外的な活動といえばライブ(2015627日に神戸ブルーポートで行われたミンディ・グレッドヒルのツアーに参加)ですね。

 

桶田:そうですね。笑

 

──そこから考えたら、これに至るまでに結構な期間が空いているんですよ。

 

桶田:角谷さんは例えばNegiccoへの曲提供(『土曜の夜は』)をしたりとか、SBS静岡放送。そのラジオ番組)のジングルを作ったりとか、色々やっていますよね。僕はそれぞれの現場に顔は出しましたけど、ただ顔を出しただけで何かやったということはないですし。ライブもそんなに僕は何もしていないですしね。

 

──そんなことはないと思いますが。

 

桶田:でも、いよいよそろそろ出すタイミングになっているのかなと言うふうに意識し始めてからは速かったんです。『歳晩』がめちゃくちゃ前に出来上がっていて、そのタイミングで『歳晩』みたいな、ああいう打ち込みがいいかな、と思ってからは作業が進んだんです。

 

──『歳晩』の路線で行こうと考えたのがいつくらいですか?

 

桶田:Philia』とか『陸の孤島』が出来たのが去年の6月くらいなので、だいたいそのあたりですね。

 

──それまでに、どういう路線で行こうというのを考える期間は結構長かったですか。

 

桶田:長かったですし、その間にも何曲か作ったんですけど全然良くなかったんです。事の始まりとして最初に目指していたのは60’s的なアプローチのものだったんですけど、あまり上手くいかなかったんですね。

 

いえもと:何曲か録ったよね。

 

桶田:録りましたね。春くらいに。

 

──春くらいというのは、去年のですか?

 

桶田:いや、もっと前ですね。

 

── 一昨年の春?

 

いえもと:ライブより前?

 

桶田:2014年かな? ウワノソラ’67(以下’67)のアルバム(『Portrait in Rock ’n’ Roll』)出てましたっけ? 出てないですよね。

 

いえもと:出てるか出てないかくらいやと思う。歌詞もノートに書いてないな。

 

桶田:いえもとさんがノートに書いてないほど微妙な曲やったということです。

 

一同:笑

 

──でも、録音はしたと。

 

桶田:軽く、仮歌程度ですよ。自然消滅です。要は今回の僕のアルバムは、’67と同じようなウワノソラのスピンオフ的な位置付けになるんです。’67が角谷バージョンだとしたら、今回のは僕バージョン。だから、もともとは’67と同時のリリースを目指して同時に制作をスタートしているんですよ。でも、ここまでズレるような感じではなかったんです。

 

──アルバム名の『丁酉目録』はどのように決まったんですか。

 

桶田:角谷さんにも結構相談したんですけど、「桶田開眼とかでいいんじゃない」って言うんですよ。僕もまあそんな感じかなって思うんですけど。ちょっとおしゃれな感じになってしまうのもアレやし、かと言って自分の名前も嫌やし、というところですね。

 

──でも、今回のアルバムは名義としては桶田知道になっていますよね。もともとはウワノソラのスピンオフという形だったはずが、結局名義だけを見ると桶田ソロという感じになっています。何か理由はあるんですか?

 

桶田:僕も乗せられた感じですよね。

 

──乗せられた感じ?

 

桶田:もともとはウワノソラのスピンオフという形が伝わるように、僕といえもとさんで別の新しい名義でやるつもりだったんですよ。でも、グループ名がいっぱい出来すぎると紛らわしいし、僕はウワノソラで三番手だから、そもそも知名度がなさすぎると思ったんです。

 

──それ、自分で言うんですね。

 

桶田:はい。というのもあるし、どう考えても僕が一人でやっているという色が強くなってしまうから、それなら分かりやすく本名で行こうと。恥ずかしいです。

 

──恥ずかしい?

 

桶田:恥ずかしいです。

 

今作はこれまで日常的に触れてきた打ち込み音楽の集大成(桶田)

 

──曲の作り方についてなんですが、以前のインタビューで桶田くんはデモの段階からかなり完成に近い形まで作り上げるっておっしゃっていたんですが、それは今回もそうでしたか。

 

桶田:そうですね。デモの段階でほぼ完成そのままです。『陸の孤島』とか『Philia』は、ドラムのパターンはデモから全く変わっていなくて、音色が変わってるくらいです。そこから足して足して、という感じですね。他の曲でも、言ってしまえばデモで打ち込んだやつの音色を変えてそのまま使ったりしています。半ば衝動で打ち込んだものが結局1番良かったりするというのは、結構よくあることなんですよね。

 

──おっしゃるように、今回はミュージシャンを呼んで生音・生演奏で録音するというスタイルではなく、ご自身での打ち込みがによるサウンド・メイクがメインになっていますが、これには何か理由はありますか。

 

桶田:今回は100%自分一人ですけど、出来る範囲で自分でやったほうが楽しいかなって思うんです。それに、実際の生音で録ったりするよりも、全部自分でやったほうが整いやすいんですよね。うーん……言ってしまえば単純に僕の行動力がなかったり、ディレクションができないっていうのもあるんですけど。

 

──自分の思う通りにするためには、自分で全部やったほうがいい、という感じなんですね。

 

桶田:多分そうなんだと思います。何月何日何曜日、何時にどこでっていうのがなくて、夜中だったり休みの日にできたりして、結構自由なのでやりやすいんです。……たぶん、僕は打ち込みが好きなんですよ。例えば生のストリングスのいいところというのはあるけど、シンセのサンプリングしたストリングスの音にも生に勝るとも劣らないというか、絶対に生では出せないニュアンスがあるんですよね。生のストリングスを入れる環境があったとしても、あえてシンセのストリングスを入れるというのは、手法として全然アリだと思っています。そういう打ち込みならではの面白みっていうのがあって、高校生くらいの頃から地元の友達数人と遊びで作ったりしていたんですよね。

 

──では、『丁酉目録』は桶田くんが以前から日常的に触れてきた打ち込み音楽の集大成という感じなんですね。

 

桶田:あ、確かに。そうですね。

 

 

 

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Sayoko-daisy インタビュー #5

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ジャンゴにて、店長の松田さんを交えての1枚。自然と笑顔がこぼれる。

 

「もうCDは出さない」って思っていたけど、出したことによって生まれる縁とかもあるかもしれない

 

 

──5曲めの「ニアミス」ですが、これは先ほどおっしゃっていたギターのカッティングが入っていて、パーカッションの感じとかも「打ち込みで作りましたよ」っていうよりはバンドっぽいですよね。そういう風に、普通に生音のみでやりたいという気持ちってどこかにあったりしますか。

 

S:結構テクノって言われるんですけど、別にテクノ・ポップを作っているという意識もないんですよね。テクノ・ポップって言うほど聴いていないし、やっぱり自分の元にあるのはバンドの音なのかなっていうのがあるんですよね。だからその曲は生音っぽくやろうと思って作ったんです。

 

──そういう意味では8曲目の「回想列車」も生音っぽい感じですよね。バンドっぽい。

 

S:そうですね。

 

──今回のサポートの楽器はギターのみですが、もしいろんな人達が「じゃあ俺ドラムやるから」「パーカッションやるから」って全員揃ったら、バンドでやってみたいという気持ちもありますか?

 

S:1回位はやるかもしれないですね。……でも録音も大変ですし、お膳立てしてくれたらやるって感じですね(笑)。

 

──ライヴだと、この曲はバンド編成で観られたらすごくいいなって思ったんですよね。

 

S:ああ、そうですよね。

 

──次の「SUBLIMINAL」は、台風の日に東京から乗った夜行バスの中で歌詞が浮かんできたということですが、それはバスの中で携帯か何かにメモをしながら?

 

S:そう。珍しく家じゃなくて道中で作ったんです。

 

──車内では全然眠れなかったですか?

 

S:うん、台風でぐわって揺れるし、雨の音がバンバン鳴っていて、無事に家に着くのかな、帰れるのかな、って。……東京のライヴの後だったんですけど、それがあんまり上手くいかなかったんですよね(苦笑)。普通に演奏したけど、「アレ?」って違和感みたいなのがあったんですよ。ちょうど天気も荒れてて、自分も上手くいかなくて荒れてる、みたいな。この曲は歌詞に感情が一番出ているかなって思います。一番怒っていますもんね。

 

──怒っていますね(笑)。最後に出てくる叫び声はその怒りの象徴でもあると思うんですが、これはいつもの録音している環境で録音したんですか?

 

S:そう。「うわあああ!」って言いました。近所迷惑なので1発で(笑)。私はどちらかと言えば感情を出していない淡々とした歌い方やし、抑揚のない歌が多いから1回くらいは叫んでもいいかなって感じです(笑)。

 

──「Teach Your Beat」はバンさんが参加されています。

 

S:最初は一言だけセリフを言ってもらうつもりでお願いしたんですけど、やっぱり色々ダメ出しが入るんですよね。イントロに入っているセリフは、元々アウトロに入っていたんですよ。それが「セリフは前に持ってきてスッと終わった方がいい」というのを言われて。歌詞も送ったら微妙に直されて返ってきたり。タイトルも「変えたほうがいいな」って言われて「じゃあどうしましょう」って訊いたら「Teach Your Beat」って送り返されてきて。……最終的には、バンさんが居なかったら違う曲になってたなって思って、「クレジットにも入れておきます」という感じになったんです。

 

──バンさんに宛てた曲が共作になるという。

 

S:共作になっちゃったという(笑)。だから全然捧げていないですよね。

 

──歌詞で言うと「甘やかさないで」の後に「連れて行って」と来るじゃないですか。

 

S:そうなんです。めっちゃ矛盾しているんですよね。

 

──それがすごく可愛らしい女の子のイメージがあって、バンさんとSayoko-daisyさんとの親密さが分かるというか。もう親みたいな存在になっているんじゃないのか、とか思いながら聴いていました。

 

S:一応押しかけ弟子なので(笑)。まあバンさんに捧げるというか、元々バンさんが作るロックンロールが好きで、自分もそういうものを作ってみたかったっていうのがあったし、バンさんの歌詞は真っ直ぐなラブソングが多いんですよね。私はラブソングは基本的に書かないんですけど、ロックンロールだし、ストレートに思いを伝えているというのがいいなというのがあったんです。

 

──先ほども少しお伺いした「回想列車」は、ジャンゴの店長である松田さんに宛てた曲ということですが、曲調はシティ・ポップ調で、打ち込みではあるけれども、バンド演奏っぽいところもありますよね。歌詞で奈良の風景、それこそ近鉄奈良駅に増設された屋根とかが出てくるんですが、その辺りにやっぱりに純粋なシティ・ポップとの違いを感じるんです。普通は「派手なカフェ」という単語があったら、そこに「行こうよ」となると思うんですよ。純粋なシティ・ポップであれば「行って話そうよ」という流れになる。

 

S:そうですね、オシャレな感じで。

 

──加えて「家路を急ぐ子供」という視点はまず持てないと思いますし。

 

S:ないでしょうね。

 

──それでも、やっぱりその感じが純粋なシティになりきれていない奈良という都市の特徴をすごく表していると思うんです。この視点は住んでいないと書けないと思いますし、もちろんそれは悪い意味ではなくて、逆に「それでいいでしょう」という決着を付けているのが良いなと。

 

S:『ノーマル・ポジション』ですから。何をもってシティ・ポップなのか、というのもありますし、やっぱり知っているものしか書けないですから(笑)。ジャンルとかっていうのは、一聴して決めちゃいがちですけど、もっと自由でいいんじゃないかなって思いますね。歌詞の後半のイメージは「お客さんが来なくて暇してるジャンゴの店長」なんですよ(笑)。

 

──確かにジャンゴは子供とかが歩いていそうな立地にありますしね。

 

S:そうですね。毎日ツイッターをされているけど、そういう感じなのかなって。

 

──9曲めの「Sweet Secret」はスキャンダルの記事が元ネタなんですよね。

 

S:だから妄想ですよね。これは100%妄想です。

 

──でも元のネタというか、アイデアは実際にあったことなんですよね?

 

S:そう、桂小枝ですよ(笑)。

 

──ですよね(笑)。それを伺ってもいいのかなって思っていたんですが。

 

S:いやいや、色んな所で言っていますよ(笑)。ただ、あまり言い過ぎると曲を真面目に捉えてくれている人に申し訳なくなるので。

 

──不倫でプリンって出てきたらそれしかないですよね。音という意味で伺うと、冒頭からガムランのような金属音がずっと裏で鳴っているんですが、ああいうアイデアはどこから出てきたんですか? ちょっと民族っぽい感じはこれまでなかったなって。

 

S:本当に自然にやっていて、単純に音色も気に入ったからという感じですね(笑)。シンセで作った音なんですけど、ああいう音が一番ハマるかなと思ったんです。

 

──これは深読みかもしれないですが、バスドラが4つ打ちで入っているのが、歌詞の内容と照らし合わせると男の人の焦りの鼓動のように聴こえたんです。

 

S:ああ、なるほど。

 

──たまにドドドッと入ってくる所があったり、ブレイクした所に「だけよ」って声がディレイで繰り返されて入ってくるとか、この辺りはそういうことを考えてやったのかなと。

 

S:フフフ。いや、ずっと続くと飽きるからブレイクを入れようって。自然とですね。

 

──そういう意識はなかったんですね。

 

S:割と無意識にやってますね。

 

──元々Lioの「バナナ・スプリット」みたいな、かわいらしい感じを意識されていたということなんですが……。

 

S:そうそう(笑)。あのバスドラの音でポップにはならないなと思ったけど、せっかく打ち込んだからこのまま使いたいなって感じでした。歌詞ももうちょい可愛らしい感じだったんですけど、曲調がああいう感じになったので、つられて歌詞も重くなってきたんですよね。

 

──ラストの「Chime!」は高校生の頃に作った曲の再構築ということなんですが、これは曲作りの際に「そういえばこういう曲も作ってたな」と偶然見つけたものなのか、「いつか使いたいな」と思っていたものなのか、どちらですか。

 

S:思い出したって感じですね。そういうのもあったなって。

 

──夫婦という、Sayoko-daisyさんにとっては結構リアルなテーマの中で「なるべく笑って」という歌詞が出てきたのが印象的だったんです。「なるべく」なんやと思って。

 

S:そりゃあ人間なので不機嫌な日もあるじゃないですか。インターホンを鳴らされても出るのが怠い日もあるじゃないですか(笑)。喧嘩しているときもあるやろうし……。でも「なるべく」笑ってたほうがいいよなって。

 

──やっぱり、そういう影の部分を表現されているというのが特徴なんだなと思います。このテーマって、ものすごく明るく書こうと思えば全然書けると思うんですね。

 

S:うん。

 

──加えてこの曲は曲自体は明るいじゃないですか。でもそこに「なるべく」を入れるというのは、やっぱり特徴的に感じました。

 アルバム全体の話なんですが、例えば「Hangetsu-No-Machi」では声を結構エフェクト処理していたのが、今回はあまり手を加えていないじゃないですか。先ほどのウィスパー・ヴォイスの話じゃないですけど、やっぱりライヴでの再現性を意識してのことですか?

 

S:うん、そうですね。さっきお話したとおり、元々歌を嫌々歌っていたわけじゃないですか。でも、たとえ歌が下手でも自分の元の声に含まれている成分で人の気持ちが動くのかなっていうのがあって。それでも多少修正はかけますけど、なるべくなら自分の声に近い状態で聴いてもらったほうがいいかなと思うんです。やっぱりずっと電子音が入っているので飽きてくるというのもありますからね。

 

──なるほど……。ちなみに、今後はレコ発とかも予定されているんですよね。

 

S:とりあえず名古屋・京都・東京は決まっています。名古屋は1月10日、大須のサイノメで。京都は2月1日、新京極の誓願寺というお寺で奉納ライブをさせていただきます。2月18日は下北沢モナレコードに出演します。詳細は随時ホームページに載せていきますので、またご覧くださいね。

 

──「いつかミュージシャンになってアルバムを出したい」という目標が叶いました。次の目標というのはありますか?

 

S:うーん、ないですねえ(笑)。結構「やり切った!」って感じなんです。でも、『tourist in the room』を出したときも「やり切った!」「もうCDは出さない」って思っていたんですけど、出したことによって生まれる縁とかもあるかもしれなくて、色々いただいたお話を「面白そうだからやってみようかな」って何となく続けてきているので、多分今後もそういう感じなんだろうなと思います。やらないといけないことはもう2,3決まっちゃっていますし、今すぐやめるとか、そういうことでもないです。売れたいってわけでもないですし、どこのライヴハウスに立ちたいとかっていうのも……あるといえばあるけど、そのためにやっているというわけではないんですよね。とにかく今はライヴをやって、という感じなんですけど、色んな人とのコラボの機会があればやってみたいですね。やっぱり今回曲作りを手伝ってもらったことで、自分だけでは出来ない音っていうのが見えてきたんです。

 

──最後に、Sayoko-daisyさんは三重県の自宅で音楽を作っていらっしゃいますが、音楽をするためには場所は重要だと思われますか。

 

S:飽きっぽい性格なのに続けられているので、多分自分には向いている環境なんだなって思います。自宅で一人でやっているから、好きなだけ、自分の気分が落ち着くまで、納得行くまで出来ますから。これがバンドだとスタジオ代とか、時間の問題で不本意なテイクをそのまま使うことになっちゃうとか、そういうことにもなりかねないですから。

 地方にいると不便ですけど、もしこれを東京でやっていたとしたら、もう趣味じゃなくなっているんじゃないかと思いますね。家事どころじゃなくなるくらい、のめり込んじゃうんじゃないかなっていうのがあるんです。地方にいるとそんなにライヴも誘われないですしね(笑)。人からちょっと離れた所にいるっていう、その適度な距離感を保ってた方が、自分のペースを守れていいかなって。マイペースが一番ですから。

 

 

【2014年12月5日、奈良市内にて。】

 

 

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Sayoko-daisy インタビュー #4

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ジャンゴにて、店長の松田さんとお話するSayoko-daisyさん。

 

いつもあの人に感謝している、ということだけでこれまでやってこれたから、どうしても人に向けた曲が入ってきた。

 

 

──では、今回リリースされたアルバム『ノーマル・ポジション』収録曲の話に移ります。1曲め、アルバム・タイトル曲でもある「Normal Position」は歌詞が英語です。以前のリリース作品なら英詞というのは結構見受けられていて、むしろそちらのほうが多かったですよね。それが今作では英詞の曲はこの曲のみになった。

 

S:自分の思いを書くときに、やっぱり英語は母国語ではないから、表現しきれない部分がどうしても出てきてしまうんですよ。あと、最近は日本語のほうが聴いてくれる人に伝わりやすいんだろうな、というのは考えるようになりましたね。ただ、この曲は一番人に訴えかけているかなという内容になっていて、日本語だとちょっとキツく聞こえるし、照れるので英語にしておこうと。しかも歌っているというよりは読み上げている感じじゃないですか。それをそのまま日本語でやると違うジャンルの人みたいになっちゃうから(笑)。

 

──リーディングの世界になっちゃいますね(笑)。それにこの歌詞にあるような「この世界には向いていない」といったフレーズから、変に政治的な意味とかを考える人もいるかもしれない。

 

S:深読みする人はいるんですよね。でもこの曲もそういうことではなく、本当に自分の中で完結しちゃっていて、今の情勢がどうとか、そういうのは曲にしないと決めているんです。だから、英語にしたのは単純に日本語だとちょっとストレート過ぎるということですね。……結局この曲で言いたいのは「そのままでいいんと違う?」ということなんですよ。

 

──この曲に限った話じゃないのですが、Sayoko-daisyさんの作る曲は、ベースの音が、人が弾いたフレーズのように聴こえるんです。音色ももちろんなんですけど、たまにオクターヴ奏法をしたりするじゃないですか。こういう発想というのは、最初から打ち込みをやっていた人の中から出てくるのかなと少し疑問なんです。

 

S:自分がもしベースを弾けたらこう弾くな、というのを考えながら打ち込んでいるんですよね。私はいろんな楽器のなかでベースの音が一番好きで、中でもファンクとかソウル、ディスコのノリが好きなんですよ。曲を作るときも、ドラムを打ち込んだらそれに乗るカッコいいベースを打ち込みたいというのがあるんです。ベースは結構大事にしていますね。

 

──じゃあ、例えば細野さんが弾いているベースをしっかり聴いたという時期もありましたか?

 

S:そうですね、特にYMOのライヴとかでめちゃくちゃグルーヴしているのがカッコいいなって。あとはソウルとかディスコの、同じフレーズをループしているだけなのに、それがめちゃくちゃカッコいいっていうのがいろいろ耳に、頭に残っているんです。

 

──2曲め「Strawberry Future」は、アルバムの中でもすごく曲調がポップですよね。『tourist in the room』が全体的に明るめな印象で、『Need them but fear them』でちょっと暗い印象で……。ジャンゴの松田さんにお話を伺ったら、「Sayoko-daisyさんは『tourist in the room』よりも『Need them but fear them』のほうが自分のやりたいことらしい」というのをおっしゃっていたので、2曲めにこの曲を持ってきたのが少し意外というか。

 

S:「Strawberry Future」に関しては、「こういうのがウケるんやろな」って思って作りました。わりと自分の置かれた立場を冷静に見ていたというか、ちょっとひねくれてますけど。……「Hangetsu-No-Machi」という曲があるじゃないですか。あれがやたらとウケて。

 

──僕もめちゃくちゃ好きです。

 

S:あれは細野さんが作ったテクノ・ポップというのを意識して作ったんですけど、マスタリングの人から「すげえアレンジがダサい」って言われたんですよね。内心「やっぱり?」って思ったんです。やりきれていない、出し切れていない部分もあったから、もう一回それっぽいものを作ってみようと思ったんですね。しかもあれはウケがよかったから、この手の曲を作れば再生回数も増えるんじゃないかなという下心もあって、ああいう曲調になったんです。

 

──だから2曲めにしているというところもあるんですか?

 

S:そうですね。細野さんが言っていたんですけど、試聴するときって1曲めと2曲めなんですってね。並びを考えるときに、皆が聴きそうな曲を前に持ってきたほうがとっつきやすいかな、っていうのはありますよね。

 

──大事なのは2曲めと言いますから。

 

S:うん。だからちょうどいいかなって。曲自体は気に入ってます。

 

──この曲を作ったくらいから、自分の気持ちを歌詞に反映し始めたということで、ある意味曲作りの転換点になった曲だと思うんです。この曲を作ってから、明らかに歌詞の書き方というのは変わりましたか?

 

S:さっきの話じゃないですけど、やっぱり日本語の歌詞の曲が増えたんですよね。『tourist in the room』を出した頃からライヴをやるようになって、ライヴでお金を払って見に来てくれる人に対して、何かしら伝えないといけないなと思うようになったんです。となるとやっぱり妄想の歌より、自分の思いを歌にしたほうが気持ちが入るじゃないですか。聴いていてどこか「ああ」って思うものがあったらいいなって。

 「Strawberry Future」は坂本龍一の「フロントライン」にすごく影響を受けているんです。「フロントライン」は歌詞が英語なんですけど、教授がYMOやなんかですっごい疲れていたときの曲で、当時の教授の気持ちがめちゃくちゃ反映されているんですよ。その歌詞の世界観、「みんな、こんな音楽で楽しいかい?」っていうフレーズとかに共感して……まあ置かれている環境は全然向こうのほうが強烈だったとは思うんですけど、疲れ果てている感じにすごく共感できたんです。「Strawberry Future」も、曲は「こういうのがウケるんだろうな」って狙って作ったけど、歌詞は疲れ果ててるところから始まるんですよね。でも、疲れているけどやらんといかん、という。それまでは細かいことは気にせず伸び伸びと作れていたけど、いざ売り物にするとなるとそうもいかんのやって(笑)。

 

──なるほど……。3曲めの「Warm Lights」は、これまでになかったコーラス・ワークが素敵ですよね。一方でメインの歌が難しくて音源提出ギリギリまで粘ったと伺いました。その難しかったところは具体的にどういったところなんですか?

 

S:ちょっとややこしいメロディーを作りすぎたなって(笑)。最初はウィスパー気味に歌っていたんですけど、イメージと合わなかったんですよ。ライヴではしっかり声を出して歌っていたからその感じで録音しようとしたんですけど、やっぱり難しくて。他人に聴かせたらどれも一緒なんですけど、自分の中で納得がいくまでやっていたら本当にギリギリになってしまったんです。

 

──『tourist in the room』を出していた頃はウィスパー気味の声という印象があったのが、だんだんしっかり声を出すという感じに歌い方が変わってきていますよね。

 

S:そうですね。まずウィスパー・ボイスはライヴで再現できないんですよね。すごい良いマイクを使ったりしないといけないですし。それにCDではウィスパー気味に歌っているのに、ライヴだと聞こえないから普通に歌いますというのでは意味がないですから。……また斜に構えた感じになっちゃいますけど、ウィスパーやったら何でもいい、みたいな所がありませんか? 女の子のウィスパーやったら何でもウケる、みたいな。その辺もどうなん? と思ってて(笑)。そういうキャラクターの、可愛らしい感じの女の子が上手にウィスパーで歌っているとすごく雰囲気に合ってて、いいなって思うんですけど。私はそういうキャラじゃないなって。

 

──お伺いしていると、ある種ライヴをやるようになって歌い方に変化が出てきたんですね。

 

S:そう、歌い方を変えようっていう。

 

──だって『tourist in the room』を出した段階ではライヴをたくさんやるとか、そういう想像はないんですもんね。

 

S:もうライヴは嫌やからしませんって言っていましたね。音源はいっぱい編集してやっと形になっているという感じなので、人前で歌ったら同じようには絶対歌えないから無理ですって。

 

──でも、それがだんだん「引き受けよう」というように変わっていった。

 

S:もうお世話になった人に頼まれたらしょうがないって(笑)。行さん(行達也、元ルルルルズ)が結構初期の頃から推してくださってて、「ルルルルズが奈良へ行くので一緒にやりましょう!」って誘ってくださったんです。断れないですよね(笑)。だからそれは最後の1回、最初で最後にしようって感じでした。

 

──でも一度やってみると……?

 

S:ライブ自体はなんとか無事に済んで安心して、そのときは本当に「もういいわ」って思ったんですよ。出来もひどくて。直前になってルルルルズより私のほうが出番が後というのを知って「そんな無茶な!」って感じやったし(笑)。私は前座やと思ってMCも「今日はありがとうございます」みたいな、前座っぽいMCまで考えていたんですけどね。すごいプレッシャーで吐きそうになりながら行って、何とかやり終えたと思ったら、そこにバンさんが観に来られていて、「いけるね、じゃあ次5月ね」って言われて(笑)。もう断れないですよ。引っ張られるままに。

 

──「演奏させてくれてありがとうございました」ってルルルルズに言うつもりが、行ってみたら自分が誘ったみたいな感じになっちゃってたんですか。

 

S:そうです(苦笑)。

 

──それは大変ですねえ(笑)。4曲めは「返事」です。これは録音しているときに体調を崩されていたんですよね。薬の副作用で聴覚障害という……。

 

S:まあ、ただの気管支炎なんですけどね。聞こえている音が低いっていうだけで、歌おうと思えば歌えるんですけど、何かやっぱり気持ち悪くて。

 

──耳に入る音が全て低く聴こえる?

 

S:薬を飲み始めて次の日から、お米の炊ける音とかレンジの音とか、そういう聞き慣れた音が全部半音ズレているのに気づいたんですよ。神経質なので、自分の聞いている音は本物じゃなくて、本当はもっと高いんやと思ったら歌えなくなっちゃって。……「返事」は亡くなっちゃった人のことを歌っているんですよ。それでどういう歌い方をしていいかわからないというか、曲を作ったはいいけどその人のことを考えると、どう歌ったらいいんやろうというのがありました。

 

──先ほど恩返しという意味でのアルバムと伺いましたが、実際曲をそれぞれ見ていっても誰々へ宛てた曲というものが多いですよね。

 

S:『ノーマルポジション』ですからね。自分の日常をそのまま作品にするとしたら、常に考えていることって卑屈でいじけていて自信がなくて、みたいなことばっかりなんですよ。でも、もうこの年齢だから変わり様が無いです、っていうような所から出発しているんですよね。そんな私だけど、いつもあの人に感謝している、それだけで何とかこれまでやってこられているというのがあるので、人に向けた曲がどうしても入ってきましたね。

 「返事」に書いている亡くなっちゃった人というのは、元々ジャンゴのお客さんだったんですよ。すごい音楽博士で、皆から仙人って呼ばれていた人なんです。私はそれまでお会いすることはなかったんですけど、初ライヴのときに観に来てくれていたんですよね。でもすごく照れ屋で何も言わずに帰ってしまったんです。私もなんとなく「あの人かな?」というのは分かっていたものの、出番前とかでバタバタしていて、後になって声をかけようとしたらもう姿がなくて。だから結局1度も話せなかったんですよ。その人も音楽を作っていて、CDに焼いたのを送ってきてくれたりしたんですけど、送り主の住所が書いてないから返事のしようがなくて、でも感想をいつか言わないといけないな、と思っていたら亡くなっちゃったんです。だから「返事」っていう、そういうタイトルなんです。

 

──今のお話、お伺い出来て良かったです。

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

 

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Sayoko-daisy インタビュー #3

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ジャンゴ店内に飾られたSayoko-daisyのサイン。お近くの方はぜひ店頭を訪ね、先日の#2で掲載したポップも合わせてご覧いただきたい。

 

売れたい、有名になりたいというのはないけど、流通に乗せることで支えてくれた人へ恩返しになるかと思った。

 

 

──今回リリースされたアルバム『ノーマル・ポジション』を制作されていた期間はどのくらいだったんですか?

 

S:期間は大体1年を見ていて、去年の夏に『Need them but fear them』を出してからぼちぼち考えようとしていたんですね。先に手を付けていた配信のカヴァー・アルバム(『drop in』右記リンク先で現在もフリー・ダウンロードが可能)が出来上がったのが今年の1月だったので、じゃあフル・アルバムは今年中に出そうと。曲は作るたびにSoundcloudで公開しているんですけど、『tourist in the room』を出した後から作り始めた曲が1年位経って溜まってきていたんです。その中から5曲くらいを選んで、残りを作るかって感じで。秋には出来るかなって思っていたんですけど、途中で身体を壊したりして遅れに遅れて……。でも大体期間は1年ですよね。

 

──「CDとして出していない曲があるから、アルバムを作ろう」という感じ?

 

S:1枚目を作ったときに、気持ち的にはもう終わっていたんですけど、よくよく考えてみると他にも入れたかった曲はいっぱいあるなって思ったんですよね。だから、いつかはそういう曲を集めて出そうかなって思っていたんです。

 

これまでの作品は全部お一人で制作されていましたね。

 

S:そうですね、『tourist in the room』のマスタリングだけ違う人にお願いしていて、あとは演奏も打ち込みも全部一人です。

 

それが、今回はバンヒロシさんをはじめCRUNCHの堀田さん、Paisley PheasantのHiroyuki Itoさんという3人が参加されています。

 

S:堀田さんは名古屋のバンドの人で、わりと年も近いし住んでいる場所も近いので、話をしたり、コンサートで出くわしたりというのがあって、去年、CRUNCHのリミックスを頼まれたんです。それをやったときに、「いいものを作ってもらったから、今度何かあったら手伝います」って向こうから声をかけてくれたので、「じゃあお願いします」って。ちょうど生のギターを入れたいと思っていた曲もあったんですよね。

 Itoさんは、バンさんのイベントを手伝いに来られていて、打ち上げの席で知り合ったんです。「CRUNCHの堀田さんにギターを弾いてもらうんです」という話をしたときに「僕も弾きます」って言ってくださったんですよね。そういう風に言ってもらえた縁には全部乗っておこうと思って。

 バンさんとは元々私が1枚目を出した直後からお付き合いがあったんです。今回バンさんのことを歌っている曲を作った(「Teach Your Beat」)から、「ここはバンさんの一言が欲しいな」って思って声をかけたんですよね。すごく目上の方なのでちょっと頼みづらかったんですけど、お願いしたら快く引き受けてくださって。

 

ジャケットが帯が付いている感じのデザインで、レコードみたいになっているじゃないですか。あれはご自身で考えていたアイデアだったんですか?

 

S:そうですね。「'90年代の再発盤」というか、'80年代にレコードとして出たものを再発した感じ、というのがコンセプトなんですよ。人物をポンと切り取って貼っているのは高橋幸宏さんの『音楽殺人』とかのイメージで(笑)、それから、アルファ・レコードの再発が全部赤い背表紙だったので、ああいうのにしたいとか。帯に見立てた部分の文字はモロにYMOで、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」って斜めに入っているイメージ(笑)。あと、裏面はカセットテープの写真を使ってるんですよ。家にあるノーマル・ポジションのテープを探してきて、一番その時代っぽいのを切り取ってみたりして。

 ……なんかこう、今'80年代ブームみたいなのが流れとしてあるじゃないですか。アイドルが'80年代な感じのある曲をやっていたり、インディーズの人たちが'80年代の匂いがするジャケットを作ったり、カセットテープをオマケに付けたり、アナログを出したりとか。そういうのが注目されるのはいいけど、「'80年代っぽいのがオシャレ、トレンドだからやっている」っていう薄っぺらいのはすごく嫌で、反感を持っているんです。だから、あのジャケットはとことんまで'80年代っぽくしようと思った結果なんですよね。中途半端にしたくないというか。だからデザイナーには、何かの真似になってもいいから、とにかく「今の時代にこれ?」っていう、ダサく見えるくらいでちょうどいいって伝えて作ってもらったんです。

 

──冷静に今の時代の目で見れば、'80年代は決してオシャレに見えるようなものではないと。

 

S:そうなんですよ。そんなに'80年代ってオシャレじゃないんですよね。今になって昔の雑誌を読み返すとダサい部分があるじゃないですか、言葉も感覚もやっぱり古臭いというか、その辺りも含めて'80年代なんですよ。私はそれが好きなので、オシャレ感だけを抽出したようなジャケットは絶対嫌というのがあったんですよね。

 

事前に用意していた質問で、「レコードを出すとかって考えなかったですか?」というのがあるのですが……。

 

S:ああ、それはしょっちゅう言われるんですけど、打ち込みでやっているから、レコードで出しても「レコードをプレスしたよ」っていう、それだけのことになっちゃって、音が良くなるっていう訳じゃないんです。レコードの時代に出ていたものは、レコードのために録音しているから良い音なんですよね。私みたいにCDの規格で作っちゃったものをそのままレコードにしても、ただCDがレコードになったというだけなんです。形としてはアナログってカッコいいけど、ただそれだけになっちゃうなって思うんですよ。プレスするにも結構高く付きますしね。1枚だけとか、記念になら欲しいですけどね(苦笑)。

 

──レコードの頃って録音もテープだったりしますしね。

 

S:あの質感というのはなかなか出せないですから。それに「この人もか」って言われるのは悔しいじゃないですか(笑)。「またか」って。

 

「再発」というコンセプトならCDでバッチリですね。

 

S:そうなんですよ。だからCDにしようって思ったんです。

 

──前作まではジャンゴなどの限られた少数の店舗でしか入手できなかったのが、今回からはしっかりと流通もさせるんですよね。

 

S:別に売れたいとか有名になりたいっていうのはないんですけど、形として流通に乗せると、何か恩返しになったかなとも思えるんですよね。ジャンゴさんもそうですけど、色々支えてくれた人がいて。「もっと色んな人に知ってもらおうよ」っていう感じで一生懸命に推してくださる人がいっぱいいるのに、「いや、そんなのいいですから」って言い続けてるのも、なんか嫌なやつだなというのがあって(笑)。気持ち的には恩返し的なものがありますね。

 

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

 

 

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Sayoko-daisy インタビュー #2

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ジャンゴ店内には今も1stミニ・アルバム『tourist in the room』のポップが貼られている。

 

曲作りは炬燵の上でしているんですよ。

 

 

──新しい曲を作るときは、何かきっかけのようなものがあるんですか?

 

S:大体作ろうと決めて座って作り始めますね。家事をしながら鼻歌で、みたいなのはないです。あとは結構夢の中で作った曲もあるんですよ。すっごい良いのが出来たと思って、起きたらそれは夢でもう全部忘れてるっていうパターンもあるんですけど、覚えているのも何曲かあるんです。夢ネタ。

 

──夢ネタ(笑)。

 

S:歌詞とか世界観とか、本当に夢に出たメロディーそのものを使っているのもありますよ。でも基本的には座ってやりますね。「作ろう」と思わないと作れないんです。

 

──曲作りのスタートはどこから手をつけ始めるんでしょう。

 

S:まずはリズム隊からですね。ドラムとベースで何小節か作って繋げていく……メロディーから作るってあんまりないです。基本的にダンス・ミュージックみたいなのが好きなので、リフ的なベースのパターンとか、そういう所からとりあえず何小節か作って、ずーっとループさせて気持ちよく聴いてる、みたいな感じ(笑)。で、じゃあコレの前にBメロが要るな、とか、Aメロはこうしよう、とか。そこからコードをつけて行って、という流れです。だいたいループさせて気持ちよく聴いている時間がほとんどで、メロディーは本当に最後の方ですね。

 

──DAWソフトは何を使っているんですか?

 

S:Cubaseです。

 

──シンセは高校生からのを今も使っているんですか?

 

S:もうハードのシンセは使っていなくて、内蔵のものとか、フリーのソフトシンセばっかりですね。あの、家でやっているので、そんなに機材を置く場所がないんですよね。私達みたいな音楽をやっている人たちって機材マニアみたいな方も多くて、中古でも色々買ったりするじゃないですか。例えばスタジオとして環境が整っていてデスクがあって、ラックがあって、という風に場所があるならやるけど、今は炬燵の上で曲作りをしているんですよ。だからハードを持ってくると邪魔でしょうがなくて、パソコンでちっちゃい鍵盤を繋いでというのが楽なんです。

 

──じゃあハードであれが欲しいな、というのはほとんどないですか。

 

S:ないですね。お金があったら買うかもしれないですけど、意外とフリーのでも面白いものはいっぱいありますからね。それにハードは飽きたらどうしようっていうのがありますから。「意外と使えないな」というのはキツいので(苦笑)。そんなのだったらマイク買おうかな、という考えになっちゃうんですよね。

 

──そういう収集癖というか、集めるのは男の人のが好きですよね。

 

S:好きですよねえ。やっぱりそういう所が違うかなって。

 

──「教授が使っていたプロフェット5が欲しい!」とか。

 

S:ねえ。いくら本物のが音が良くても、プロフェットみたいな音が出るソフトシンセで満足しちゃうんですよね。よく「何を使っているんですか」って聴かれるんですけど、全部フリーのものなんですよね、実は(笑)。

 

──ミックスも全部されているんですか?

 

S:そうですね。最初はミックスとかも全然知らなくて。だから『tourist in the room』はミックスをしていない状態ですね(苦笑)。

 

──そうなんですか!

 

S:音量の調節と、左右の振り分けくらい。だからマスタリングした人に「高音域が全然出てない」って言われましたね(笑)。言われて初めて「勉強しなきゃいけないんだな」って思いました。

 

──『tourist in the room』以降は勉強をして。

 

S:ちゃんとやらなきゃいけないなって。

 

──Sayoko-daisyさんに質問する、というページで、書かれる歌詞の創作と実体験の比率が7:3くらいだと拝見したのですが、今作では実体験が多い印象を受けました。

 

S:今回のアルバムに関して言ったら、実体験のほうが多いくらいですね。逆に『tourist in the room』は完全に妄想の世界で、9割方妄想みたいな感じでした。

 

──歌詞を書くときも、曲を作るときみたいに「よし!」ってモードを切り替えてから書くんですか?

 

S:うーん、気になった言葉をメモするとかはありますけど、基本的には書こうと思ってしか書けないですね。だから曲がだいぶ出来てから歌詞を書こうかなっていう感じです。

 

──じゃあ、もう音楽をやっているときと普段の生活でバッとスイッチが切り替わっちゃうんですね。

 

S:そうですね。家事しながら音楽のことは考えないですから。

 

──そういう気持ちの切り替えは得意ですか?

 

S:1個のことしか出来ないんですよ。だから、ぼーっとしている時間、暇な時間に考えようかなって思いますね。

 

──それから先は没頭していける。

 

S:うん、そうですね。

 

──先ほど『tourist in the room』の歌詞はほとんど妄想と伺いましたが、Sayoko-daisyさんが書かれる歌詞は、聴いてくれている人に向けての何かしらがあるのか、自分のために書いているのか、どちらでしょう。

 

S:自分のために、ですね。自分のためにというか、誰かに対してのメッセージというのがあまりないんです。歌詞ってどうでもいいと思っているところもあって、メロディーにハマってくれればいい、それで聴いていて気分悪くなければいいかなというのがあるんです。なので言葉もきれいな言葉を使っていたら……中身はまあ、後付けでなんとかなるかなって。でも後々読み返すとそのとき考えていたことが出ていたりするんですよね。だからあんまり何も考えないで、語呂の良さとかでメロディーにハマるように書こうって。

 

──歌詞とメロディーだとどちらが先に仕上がりますか?

 

S:歌詞から先の場合もありますけど、実は歌詞を考えているときは同時にメロディーも考えているんですよね。「この歌詞はどういう感じで歌おうかな」って。

 

──絶対に曲が先にないと歌詞が出来ないとかではなく。

 

S:うん。だから多分、歌詞を先に作らなきゃダメですとなったら歌詞から作りますしね。ただ、出来上がった曲に歌詞をつけるのはやっぱりしんどいじゃないですか。もう決まっているところに言葉をハメるのって難しいので、やっぱりどちらかというと詞の方が先にあったほうがやりやすい気はします。

 

──今の「難しい」というのは、例えばこの言葉を入れたいのにメロディーに合わない、とか?

 

S:詞を曲に乗せるときに、歌詞はどうでもいいと言いつつも、一応基本的なところで無茶なハメ方はしたくないというのがあるんです。なんかこう、いらない言葉が入っちゃうことがあるじゃないですか。すごく情報量が多くて早口になっちゃうとか、そういうのがあまり好きじゃなくて、メロディーと歌詞がナチュラルに流れていくようにしたいから、言葉遣いには気をつけたいなと思っているんです。間違った日本語、日本語にない言葉になっちゃうのが嫌なんですよ。例えば「見れる」にしたらハマるけど「ら抜き言葉」は使いたくなくて、「見られる」にしたい、とか。そういう細かい所が気になるんです。出来上がったときにちゃんと日本語の文章としておかしくないか、とか。メロディー作るときも、基本的には言葉のイントネーション通りに上下させたいというところがあるんです。その方がやっぱりナチュラルに聞こえるんですよね。 

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

 

 

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Sayoko-daisy インタビュー #1

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Sayoko-daisy Official Website(http://lazydais3.wix.com/sayoko-daisy

 

 それは僕が初めてジャンゴ(奈良市にあるレコード店)を訪ねたときのことだった。'90年代にタイムスリップしたような錯覚を起こさせる店内でひと通り物色したあと、ふと壁に目をやると、リンゴとパイナップルが並ぶ鮮やかなジャケットが飛び込んできた。

「これ、どういう感じなんですか」

 僕の短い問いかけは、店長である松田さんのレコ屋魂に火を灯すのに充分だった。彼はその後数分間、ほとんど隙間なく喋り続け、その1000円のCDについて教えてくれた。頭を巡らせ、1から10まで、ともすれば10以上のことまで話そうとするその表情は、本当にキラキラと輝いていて、それだけで買う値打ちがあるとさえ思えた。

「ほとんどウチにしか置いていないんですけど、もう100枚は売れたんじゃないかなあ」

 恐らく殺し文句なのであろう、彼のそのフレーズを聞くより早く、僕の右手は『tourist in the room』を握っていた。

 それが僕とSayoko-daisyとの出会いだ。

 

 個人的に興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりする当ブログ『FUKUROKO-JI』。前回のウワノソラに続いて話を訊いたのは、三重県在住の宅録主婦、Sayoko-daisyだ。小学生の頃から作編曲を嗜んでいたという彼女が、楽曲をインターネット上に公開し始めたのは2012年のこと。前述のジャンゴ店長の松田さんの勧めもあって、同年12月に1stミニ・アルバム『tourist in the room』を、翌2013年8月には2ndミニ・アルバム『Need them but fear them』をそれぞれリリースした。その後はカヴァー曲集『drop in』の配信やライヴ活動を経て、当記事公開当日の2014年12月17日に、初の流通盤となる1stフル・アルバム『ノーマル・ポジション』をリリースした。

 

 僕が彼女の存在を知ったのはつい最近のことで、まさに冒頭のような出会いがあったわけだが、何より一番惹かれたのが『tourist in the room』収録の「Hangetsu-No-Machi」だった。再生と同時に流れるぼんやりとしたシンセサイザーの音色を聴いた、そのほんの1秒足らずの間に、すっかりとろけてしまったのだ。

 

 

続けざまに『Need them but fear them』を聴き、ぐにゃりと曲がってしまった自分の身体に鞭打って彼女のホームページをチェックすると、なんと近々リリースの予定があるという。そこからインタビューの依頼を出すまではごく自然な流れだった。

 

 今回は、去る12月5日に奈良市で行なった彼女のインタビューを、数回にわたってお届けする。彼女のホームページには、彼女自身による『ノーマル・ポジション』収録曲の解説や、松永良平氏を始めとする面々によるレビューなどが掲載されている。当インタビューもそれらを参考にして構成しているので、是非お買い求めの『ノーマル・ポジション』と合わせてお楽しみいただきたい。

  

 

歌は嫌いでしたね。自分の声だけ浮いて聴こえるから嫌だったんです。

 

──小学生の頃から作曲をされていたということですが、具体的にはいつ頃ですか?

 

Sayoko-daisy(以下:S):生まれて初めて曲を作ったのが8歳ですね。ヤマハの音楽教室にエレクトーンを習いに行っていて、その教室でソルフェージュという、メロディーにコードを付けるとか、そういう簡単な楽譜の書き方を習ったんです。ヤマハは子供のオリジナル曲コンテストみたいなイベントを毎年やっていて、それに出すために嫌々作ったんですけど、教室から1人代表を選ぶというのに選ばれて、親に褒められたんですよ。

 

──それはどういう曲だったんでしょう。

 

S:もうどうしようもない、取るに足らない感じの曲でした。ピアノで作ったんですけど、私が作ったのはモチーフだけで、先生が付きっきりで曲として成立するように直してくれたんです。そこでアレンジっていう、そういう仕事があるんやって認識して。

 

──それをきっかけにずっと曲作りをしていた。

 

S:いや、なんかこう、小学校高学年くらいのピアノを辞めたくなる頃ってあるじゃないですか。練習が嫌になってくるっていう。楽譜通りに弾くのがすごく嫌だったんですよ。間違うと怒られるし。でも自分で作った曲なら自分の好きなように弾けるじゃないですか(笑)。ちょうどポップスとかを聴き始めたのも小学5~6年生くらいで、肩肘張ったクラシックよりは、普通に売れている曲とかをやりたいと思うようになって、それがきっかけで自分で編曲をしようと思ったんです。作曲じゃなくて編曲の方に最初に興味を持ったんですよね。

 ちょうどその頃ヤマハで習っていた先生が独立されて、個人でピアノ教室をやるからおいでって誘われて通っていたんですけど、「私は編曲を勉強したいんで辞めます」って言ったら、「ウチで教えます!」っていう言葉が返ってきたんですよね。よくよく尋ねてみるとその先生はポップスの専門学校を出ていて、しかも、旦那さんがパイプオルガン奏者なんですが実はめちゃくちゃビートルズ・マニアで、学生のときにバンドとかをやっていた人だから、ある程度は教えられるって言われて。そこで簡単な編曲を習っているうちに、徐々にポップスに移行していったんです。

 

──それはどういう授業だったんですか? 

 

S:一番最初に習ったのはブルース進行でしたね。あと、先生がメロディーだけを書いた楽譜を渡してきて、「伴奏を付けてきなさい」って宿題があって、その課題曲がポール・モーリアとかなんですよ(笑)。授業は楽しかったですね。小学校の5~6年生から中学校の2年くらいまで習っていました。最後は先生に教えてもらうだけじゃ物足りなくなって辞めちゃったんですけどね。

 

──じゃあ高校に上がるくらいには自力で曲を作るようになっていた。

 

S:自分で本を買って勉強したり、カセットテープに録音したりしていましたね。カセットにまずベースを入れて、そのカセットを別のデッキで再生しながらオルガンを録音する、みたいな。ずっと重ね録りを続けて、最終的に歌……歌は嫌いだったのでインストだったんですけど、デッキ2台で多重録音をして遊んでいました。楽器はずっとピアノを弾いていたんですけど、家を引っ越したときに売られてしまったんです。それで手元にある鍵盤楽器がオモチャみたいなカシオトーンだけになっちゃって、中学3年の頃はその一台とカセットデッキでやってましたね。高校の入学祝いでシンセサイザーを買ってもらってからは、シンセで打ち込みというのを……打ち込みという手法はもうその頃には知り始めていたし、YMOも当然知っていたんですよね。

 

──さっきチラリとお話が出たんですが、その頃は歌が嫌いだったんですか。

 

S:歌は大嫌いでしたね。

 

──歌うことが?

 

S:自分は歌が下手だと思っていました。決定的に音痴ではないんですけど、他の女の子たちと歌うと自分の声だけ浮いて聴こえるから嫌だったんですよ。なんというか、お母さんの声と一緒やし(苦笑)。テレビを観ていたらキーボードやギターを弾きながら歌う人がカッコいいから自分も真似しようとするけど、やっぱり思うような歌にならないんですよね。その頃は小室ファミリーとか、MISIAとかUAとか、R&B的な人が出てきていて、皆めちゃくちゃ歌唱力があるじゃないですか。どうしても自分が歌うとふにゃふにゃしちゃって、ああいう歌い方が出来なかったんですよ。でも他に歌える人もいなかったので、歌の入った曲を作るときは自分で仕方なしに歌っていました。

 

──それが一転して、17歳のときにヴォーカルとしてバンドに参加されていたんですよね。そのときはなぜ「歌ってもいいかな」と思えたんですか?

 

S:あれはYMO好きのサークルみたいなのがあって……。

 

──高校でですか?

 

S:いや、オトナの人ばっかりです。20歳くらい年上の人ばっかり。周りにYMOファンが居なくて寂しいから、個人情報誌みたいなのを使って文通で情報交換したりしていて、それで知り合った奈良の人がトラック・メイカーだったんです。私が高校で演劇部に入っていたのもあって、その人に「ナレーション的なものを曲にのせて欲しい」って誘われたんですよね。喋るつもりで行ったんですけど、いざ行ってみたら歌になってて。下手だから歌いたくはないんですけど、年上の人やし、「下手なのがイイ!」みたいに言われて歌いました。世の中にはヘタウマと呼ばれるものがあるじゃないですか。ちょうどその人に教えてもらったのがルー・リードとか、歌自体はそんなに上手くはないけど(苦笑)、でも味があって、こう歌う人もいるんやって。それでだんだん歌うことに慣れていったんです。でも基本的に今でもあまり歌は歌いたくないですよ(笑)。

 

そこから10年近く音楽活動を休んで、2012年にまた再開されるわけですが、その間の10年は自分で音楽を作るということにほとんど触れなかったんでしょうか。

 

S:うーん……。自分の結婚式で自分の曲を歌ったり、後は宴会芸みたいなことですね。私はブログをやっているんですけど、タイトルの『Party performance』っていうのは日本語で『宴会芸』なんですよ。パーティー的なものに呼ばれて、私が楽器を弾いたり曲を作ったりしていたことを知ってる人から「何かやって」って言われたときに「じゃあ曲を作りますか」と。3年に1回くらいのペースでやっていました。

 

──その頃から曲は打ち込みだったんですか?

 

S:そのときもまだシンセ1台、だから高校生の頃と全く同じスタイルですね。知り合いに音響をやっている人が居て、お下がりのマイクとMTRをもらったので多少録音環境は良くなっていたんですけど、宴会でやるだけだからレコーディングはしていなかったんです。トラックだけを作って身一つで行ってカラオケみたいに歌うという感じでやっていて。

 

話は少し戻りますが、一番初めの音楽をやりたいって思った、ヤマハの音楽教室に通おうと思ったのはご自分の意思だったんですか?

 

S:いや、無理矢理連れて行かれました(笑)。

 

──じゃあ「音楽やりたい!」っていうのはその時点ではなかった?

 

S:なかったですね。でも、物心がついた頃からずっと音楽を聴いている子供だったらしいんですよ。歩く前からラジカセの前に座っている子だったらしくて、ずっと音楽を聴いて頭を振っていたんですって。そういうこともあって、「まあこの子は女の子やし」っていうことで連れて行かれたんです。幼稚園ぐらいの頃は歌ったりするのも好きでしたし、私立だったからマーチングバンドの真似事とかもあったんですけど、そういう皆で演奏するっていうこともすごく楽しくて。ピアノを習っている子供って、将来を尋ねられたらだいたい「ピアノの先生になる」って言うじゃないですか(笑)。そういう感じで「将来はピアニストになります」みたいなことは言っていたけど、本当に音楽でやっていきたい、そういう仕事に付きたいと思ったのは編曲に興味を持ちだした小学生5年生くらいからですね。

 

──編曲に興味を持ち始めた頃はどんな曲を聴いていたんでしょう。

 

S:わりと普通で、ミスチルとかを聴いてましたね。でも一番最初に「良い!」って思ったのは鈴木雅之だったんですよ。「こういう音楽ってどうやったら作れるんやろう」って初めて思ったんです。だから今も影響がずっと残っているのは鈴木雅之っていう。フフフ。鈴木雅之の曲を作っているのって山下達郎だったりするので、結果的に後で繋がってくるんですよね。

 

──後々になってそういう繋がりに気付くんですよね。

 

S:「これはあの人が作ってたのか」って。

 

──ちなみに、初めて買ったCDって覚えていらっしゃいますか?

 

S:それも鈴木雅之なんです。小学生の頃。『夢のまた夢』っていうシングルでしたね。確か小田和正プロデュースでした。当時は歌番組も多くて、全部録画して観るという感じで、小室哲哉とか、その頃流行っていたものはひと通り聴いていましたね。

 

例えば今名前が挙がった山下達郎とか、一つの曲からいろんな名前が見えてきた、繋がってきた時期はいつですか? 要はテレビで流れてきたものをただ聴いているだけではなくて、自分から掘り下げていくということを始めた時期のことです。

 

S:多分YMOを聴き始めたのが中学1年の頃なんですよ。坂本龍一がYMOの曲をピアノで弾いているライヴを偶然テレビで観たんです。「東風」とかをやっていて、すっごい「うわあ」ってなって、CDを買いに行ったんですけど、ソロでYMOの曲をやっているのは出していないんですよね(笑)。それでお母さんに訊いたら「坂本龍一ならYMOの曲かもしれない」って言われて。そこからYMOを聴き始めたんですけど、今みたいにインターネットもないし、親もメンバーが坂本龍一しかわからない人だったんで(笑)、とにかく情報がないんですよ。だからCD屋に通い詰めて再発が出たら買うとか、そういうことで情報を集めていました。譜面が欲しくて大阪まで買いに行ったらそこにディスコグラフィーが載っていて、それを見てCDを集めて、という感じでしたね。

 あるとき本屋に行ったら細野さんのインタビューが乗っているロック名盤ガイドみたいなのを見つけたんですよ。日本のロックが、それこそロカビリーとかの時代から、時系列で'90年代まで載っているのを見て、「はっぴいえんどっていうのがあるんや」「これは細野さんが絡んでいるんや」「山下達郎は普通にポップスで売れているけど、シュガー・ベイブというバンドをやっていた」とかっていうのを読んで覚えていって、買える範囲で買ったりレンタルで聴いたり。掘り下げるという感じになったのはその辺りからですね。

 

Sayoko-daisyさんはツイッターのプロフィールにも「細野さんは私のアイドル」って書かれているんですけど、それはその頃からずっとですか?

 

S:中学2年とか、そのくらいからですね。

 

──ちなみに、細野さんが参加されている作品で一番好きなのって何でしょう。

 

S:やっぱり『泰安洋行』ですね。初めて聴いたソロ・アルバムで、ジャケ買いだったんですよ。それまでイメージしていたYMOの世界から突然『泰安洋行』を聴くと、前情報が何もないのですごく衝撃で。最初は「何これ?」って思ったんですけど、中毒性が高くて何回も聴いちゃうみたいな感じでした。『tourist in the room』を作るときも「『泰安洋行』みたいなのを作りたい」って思って作ったんですよ。トロピカルな感じっていうか。細野さん風に言うとチャンキー、いろんな要素が突っ込んであるっていうのを自分もやりたいって思っていましたね。

 

もしもの話、当時自分の周りにYMOとかを好きな人がたくさん居たら、今のように打ち込みではなく、バンドをやっていたんでしょうか。

 

S:やっていたんじゃないかなあ。一度やろうとして中学生の頃に2人メンバーを集めたことがあるんですよ。ベース、ドラム、私がピアノという感じで。でもやっぱりバンドは難しいですよね。特にオリジナルをやろうとすると、結局曲を書く人がアレンジも譜面書きも全部やらないといけないじゃないですか。それがあんまり楽しくなくて。自分がやっているパートはピアノだから家でやっているのとあまり変わらないですしね。だから、本当にYMOが好きで好きでたまらない人たちが居て、シンセサイザーを持ち寄ってやれる環境だったら、バンドをやっていたんじゃないかと思いますけど。

 

なるほど……。余談なんですが、Sayoko-daisyさんの普段の生活が気になっていて。というのも、主婦をされているじゃないですか。主婦業と曲作りのバランスはどういった感じなんですか?

 

S:旦那が2日に1日しか家にいない、みたいな感じの変則的な勤務なんです。家を出たらそのまま泊まりで、会社で仮眠して、また働いて夕方帰ってくる、みたいな。週の半分は一人暮らしみたいな感じなんですよね。だからそんなに時間が取れないということもなくて、というか何かしていないと暇なんですよね(笑)。

  

 

 

#1 #2 #3 #4 #5

 

 

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ウワノソラ インタビュー #4

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奈良のレコード店「ジャンゴ」にて。左のお2人は、店主の松田さんと常連のお客様。

 

男女間の温度差というか、お互い好きなんだけど微妙にすれ違ってぎこちなくなる感じが、このアルバムの歌詞を書いている時は好きだった(角谷)

 

──『ウワノソラ』オープニングを飾るのはアップテンポな「風色メトロに乗って」ですね。

 

角谷:サビはシュガー・ベイブとか、アイズレー・ブラザーズとか、ブラック・コンテンポラリーみたいな'70年代のソウルの泥臭い感じを出しつつ、でもアップテンポな感じというのを意識しました。間奏はちょうど曲作りの時に聴いていたフィットネス・フォーエヴァーというイタリアのバンドのアレンジをイメージしながら作りましたね。とにかくブラスとストリングスを入れて華やかな感じにしたかったんです。

 

──「摩天楼」は作詞・作曲が両方桶田さんですね。

 

桶田:アレンジはさっきも言ったとおり角谷さんに聴かせた段階で少し変わったんですけど……。

角谷:もともと高校生の時に作った曲なんだよね。

桶田:そうです。高2の時に作ったんです。

 

歌詞には“摩天楼”とか“シティ”とか、“ビルディング”といういかにもシティ・ポップを連想させるフレーズが入っていて、少し驚いたんです。というのも、桶田さんの地元(奈良の地方)には、恐らくそういう景色はないじゃないですか。

 

桶田:大阪の石切とか、奈良の生駒とかによく行ってて、そこで大阪の布施から生駒に抜けたときに石切周辺で観た大阪のビル群がすごく印象に残っていたんです。僕は実体験とかを歌詞に入れるのはあまり得意じゃなくて、創作、0から別のものを作りたいって。だから、田舎に住んでいながらそういう歌詞になったんです。

 

創作にしても、実際に見た風景がきっかけになっていると。次が「さよなら麦わら帽子」。

 

角谷:これは桶田くんが最初にデモを持ってきてくれて。

桶田:すごいバラードで(苦笑)。

角谷:1拍目と3拍目に音の韻があって、それが結構フォーキー、歌謡曲な感じがしていて、もうちょっと垢抜けさせたいなと思ってBPMを上げてみたんですよ。1拍目と3拍目に音の韻があると音頭みたいになっちゃうから裏に持ってきて、音数をすごく増やしてみたり。サビはほぼ山下達郎さんの「ピンク・シャドウ」。ブレッド・アンド・バターのカヴァーをした山下達郎さんのイメージなんです。コード進行も高校を卒業してすぐ聴いていたジェイソン・ムラーズとか、ああいうカリフォルニアの感じ、西海岸の感じを入れたかったんですよね。歌詞はフェニックスの「If I Ever Feel Better」の逃避行感というか、センチメンタルな方に持って行きたかったのがあります。最後は毒ついちゃってるんですけどね。

 

「マーガレット」は桶田さんがギターを弾いている唯一の曲ですよね。角谷さんはソロらしいギター・ソロを入れるのに対して、桶田さんはメロディーに寄り添う感じの、目立たないソロ・プレイに徹している印象です。

 

桶田:ギターで聴かせる、リフを弾いて前に出るというのをあまりカッコイイと思わないフシがあって。だから効果的にそれっぽい音を入れてみたんです。

 

──なんかキリンジの堀込高樹さんっぽいなと思ったんですよ。

 

桶田:ああ、キリンジは高樹さんの方が好きですね。でもその時はあまりそういうことを考えていなくて、とりあえず早く録らないとっていうのがあったんで。1~2時間で録っちゃいました。

角谷:すごく味があって僕は好きだな。

 

「ピクニックは嵐の中で」は、途中で男のリポーターで台風の中継が入るじゃないですか。初めて聴いた時、雨を浴びる男というのが、女の子にすごく怒られているっていう比喩じゃないのかなと考えちゃったんですよ。

 

一同笑

 

──だからレタスは嫌いって知ってたのにサンドイッチに入れたのかなって。

 

角谷:聴かせた人からは「嫌いなのにレタス入れんなよ!」っていう感想が多かったですけどね(笑)。歌詞はそれぞれ聴く人の解釈があるので深く解説しませんけど、男女間の温度差というか、お互い好きなんだけど微妙にすれ違ってぎこちなくなる感じが、このアルバムの歌詞を書いている時は好きだったんですよね。

 

──その感じがすごく「うわのそら」ですよね。アルバム名も「ウワノソラ」ですし。

 

角谷:この曲は完全に異世界の感じなんですよね。トッド・ラングレンとかビーチボーイズ、ベニー・シングスとか。ギターの感じはティン・パン・アレイをイメージしたり。

 

ここから後半ですが、「現金に体を張れ」だけはアルバムの中でもすごく世界観が違うじゃないですか。

 

角谷:これはもうスタンリー・キューブリックの同タイトルの映画を見たのがきっかけですね。リズムの元ネタがシュガー・ベイブの「SUGAR」、キリンジの「汗染みは淡いブルース」とか、スティーリー・ダンやマルコス・ヴァーリなんです。シンコペーションで進んでいくというリズムが面白いなって。

 

──というと、リズムにつられてできていった曲ですか?

 

角谷:そうですね。言葉遊びとかもしましたし。結構偏見混じりの歌詞になっちゃってるんですけど、登場人物がそういう感じなだけで、僕らは全然……あ、これ守りに入ってるな(笑)。

 

──作曲のお2人とも、曲を作る時にはリズムからイメージが出てくる?

 

角谷:僕はそうですね。アルバムでアップテンポになりすぎても駄目だし、波があるのがいいかなって。そういう意味でどんな曲がほしいか考えます。桶田くんのがパッと提示されたときに、それなら僕はどういう風にしたらいいだろうって。

桶田:僕はリズムとメロディどちらから作るというのはないですね。リズムで言うと、その時の気分に比例してBPMが変わります(笑)。

 

──歌詞が先かメロディが先かなら?

 

角谷:僕は今回は歌詞が先ですね。

桶田:「摩天楼」に限った話になりますけど、どっちも同じようにできていきました。

 

7曲目の「ウワノソラ」なんですが、この曲を1曲目に持ってくることは考えなかったですか? と言うのも、コーラス・アンサンブルがメインの曲なので、最初に聴いたときにブライアン・ウィルソンの『Smile』の冒頭(「Our Prayer」)が連想されちゃったんです。だから、曲作りの元ネタように、アルバムの組み立てもそういう所から持ってくるとか……考え過ぎですかね。

 

角谷:僕も曲作りのときにちょうどそれを聴いていて、確かに最初は「ウワノソラ」を1曲目にしようと思っていたんですけど、並んだ時の抑揚とかを考えて、インタールード的に挟んだ方がいいんじゃないかなと思ったんです。コーラスの食ってる所はブライアン・ウィルソンから持ってきていますね。

 

「海辺のふたり」では、「現金に体を張れ」でも聴けたような印象的なギター・ソロが入ってます。角谷さんは積極的にソロを入れてますよね。

 

角谷:もともとフュージョンが好きだったというのもあるんですけど……。

 

──「俺にソロを弾かせろ!」みたいな?

 

角谷:いや、できれば弾きたくないんです。ここにギター・ソロがあった方が気持ちいいよなって。でも肝心の引き出しがあんまりないんで、「現金に体を張れ」はサンタナみたいになっちゃったんですけど。

 

そういう風にできること自体が引き出しだと思います。次の「おやすみハニー」は歌に関してお伺いしたいのですが、他の曲は割とフラットに歌っているイメージなのに、これだけ特別感情が入っているような気がしたんです。

 

いえもと:メロディがそう感じさせたんだと思うんですけど……なんですかね(苦笑)。言葉の事を考えて、できれば感情が伝わるようにと思いながら歌っているんですけど、なかなか……。自分で聴いていても、なんだかあまり感情が入っていないように聴こえるっていうのが昔からあって、そういう風に聴いていただけたのは、やっぱりメロディだと思います。特にこの曲だけ感情的に歌ったというわけではないです。

 

──他の曲も、あえてフラットに歌っているというつもりはない?

 

いえもと:ないですね(笑)。

 

──意識して声色を変えたりというのは?

 

いえもと:イメージに合うようにとは思っているので、そういう意味で変わっているかもしれないですね。作詞者からしっかりとしたイメージをもらっているわけでもないですけど、自分が聴いた上で歌いたいようにと最終的に言われるので。ヴォーカルもデモで角谷くんが歌っているのを聴いて、「こういう風に歌って欲しいのかな」というのを少し考えて歌っていました。

 

なるほど……。ラストは「恋するドレス」。僕はこの曲をYouTubeで聴いてウワノソラを知ったんですが、そのときに歌声にすごく引っ掛かりがあったんです。こういう曲って一十三十一さんとかユーミンみたいに、とんでもなく歌がうまい人がさらっと歌っているイメージだったんですけど、さらっと歌おうとしていない感じというか。

 


ウワノソラ - 恋するドレス - YouTube

 

いえもと:「恋するドレス」は一番難しかったですね。歌いにくい部分もあったし…フフフ(笑)。でも、基本全曲難しかったですよ。歌をやってる友達からも「難しそうやな」って言われましたし。

 

──その感じがすごく魅力的に聴こえたんだと思います。あどけなさというか。

 

角谷:確かにそうかもしれないな。

 

ウワノソラを知ったときに奈良県出身のお2人がメンバーというのを見て、「奈良のバンドなんだ」って思っちゃったんですが、歌詞を見ると“海”とか“風”がすごく出てくるので、「奈良って海ないんだけどな」って違和感があったんです。それは神奈川、横浜に住んでいた角谷さんのエッセンスがかなり詞に影響していますよね。

 

角谷:どうかな。でも海は好きだったんですよ。風とか、そういう漠然としているものが……。

桶田:扱いやすい?(笑)

角谷:扱いやすい(笑)。

 

─最初はこのインタビューを公開するときに「奈良のバンド」って言い切っちゃおうと思っていたんですけど、そういうのを見るとあくまでメンバー2人が奈良出身で、関西でバンドやってるよって捉えた方がいいのかなと思ったんです。みなさん「奈良」って言われることに違和感あったりしませんか?

 

いえもと:別にどこでも……(笑)。

角谷:やりにくさとかは全然ないですし。

桶田:自分たちから公言したことはないし、まず奈良で活動をしていないですから、名実ともに、というわけではないですね。でも言われることに違和感はないですし、かと言って自分たちでそれを売りにするつもりもない。別にどこでもいいんです(笑)。

 

 

【2014年9月2日、奈良市内にて。】

 

 

 

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 「ジャンゴ」店内にディスプレイされたレコード/CDの大半には、店主の松田さんが記したコメントカードが添付されている。広くシティ・ポップ周辺の音楽が好きな人にぴったりの品が揃っているので、ぜひ一度店頭へ伺ってみてほしい。また、当日松田さんとお客様から『ウワノソラ』に対するコメントをいただいたので、以下に掲載する。

 

 

「ジャンゴ」松田さん

 あまり批評家的なコメントはできないんですが、新人で学生さんが居るバンドとは思えないクオリティですよね。アレンジもセンスがいいし、歌声もいい。名曲率が高いのもいいですよね。演奏力もすごく高いですし、なかなかデビュー盤とは思えないんですよね。

 今はあんまりレコードを聴く人がいないですけど、京都とかにはまだそういう文化が残っているので、そういう所だとすごく目を引きそうですよね。奈良在住の人がいる、こういうバンドが出てきたのはすごく嬉しいです。

 WebVANDAでも絶賛されていましたけど、あれだけ知識ある方にああいう風に書いていただけるというのはすごいですよね。批評しているというよりは、もう興奮したまま書いている感じでしたね。そうさせる魅力があるんだなあ。

 最近は5曲目の「ピクニックは嵐の中で」とかも気に入っててね、最初はやっぱり1曲目の「風色メトロに乗って」とか「恋するドレス」に気持ちが行くんですけど、聴いているうちにどんどん他の曲の良さに気付くんですよ。本当に'70年代の感じがあるよね。若い人がやっているとは信じられない。

 

お客様

 サウンドクラウドで最初に聴いた時からいいなと思っていて、「Umbrella Walking」を聴いてまたすごく良くなってると思ったら、「恋するドレス」を聴いて天才や! って。最初はある程度まとまっている感じだったのが、最近どんどん幅が広がっていってて。いえもとさんのファルセットもすごい、夢見るような切ない感じが共存していてたまらん! って。

 

 

#1 #2 #3 #4

 

 

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ウワノソラ インタビュー #3

f:id:fukuroko-ji:20141001183911j:plain レコード店「ジャンゴ」で偶然居合わせたお客様に、メンバーそれぞれがウワノソラとして初めてのサインを書くことに。奥は店主の松田さん。

 

曲作りでは大滝詠一さんの分母分子論を参考にしていて、それを今の録音環境でやってみるとどういう音に仕上がるのか、という実験でもあった(角谷)

 

 

角谷:もともと僕と桶田くんは宅録で曲を作っていたんです。宅録だと完璧に自分の意図した通りにできるじゃないですか。それがバンドになっていろんなミュージシャンが関わることで、自分の意図しないものになるんじゃないかって恐怖があったんです。

 

──それを刺激と捉える人もいると思うんですが、角谷さんにとっては恐怖だったんですね。

 

角谷:ダメな曲になっても、自分が全てやっていたら納得がいくじゃないですか。それが他のミュージシャンとうまく共感できないと全部崩れていっちゃうと思っていたんですよ。でも、実際はスタジオで少しアイデアを投げてみたりすると、その人たちはその人たちなりに楽器をやってきているので、もっと面白いアイデアが出てくるんですよね。いろんな人とやる上で、他人のアイデアを引き出して、自分が想像もしなかった方に転がっていくのが面白いなと思うようになったんです。その場でうまくグルーヴとかができるとすごく嬉しいんですよね。桶田くんはデモの完成度を高く作ってくるんですけど、僕はコードとちょっとしたキメと仮歌だけの弾き語りで持って行きました。

桶田:僕はめちゃくちゃ不器用で、作りたいと思ったものがなかなか作れなくて、結局ギリギリまで引っ張るタイプなんです。やっぱり持って行く時には完成度を高めたいなというのが強いんですよ。音数を多くしておいた方がアレンジの段階でもわかりやすいと思うし、大人数での演奏の時にも雰囲気が掴みやすいかなって。あと自分が弾き語りのデモを絶対作りたくない、作れないっていうのもあるから。だから演奏面で聴こえがいいようにして渡す。結局は少し変わっちゃうんですけど、それが楽しみでもあるんです。

角谷:後から俺が変えちゃったりするもんね。

桶田:あれはすごかった……(苦笑)。

角谷:「摩天楼」の間奏ではアル・クーパーの「Jolie」のみたいなオルガンが出てきますけど、桶田くんが持ってきたものは全く違う感じで。

桶田:尺だけが一緒。

角谷:「スタジオに来ない間にJolieみたいになってた」って(笑)。

  

──セッション、プリプロをした段階で、サポートの方に色々指示は出しました?

 

角谷:確実なイメージが定まっているものは指示して、悩んでいる所はサポートに投げて、返してもらったものを拾っていくというような感じでした。音楽学科にいるということもあって、サポートの大半が友達連中なんですけど、それぞれバックボーンがあって引き出しを持っているので、そういう環境を活かしたかったんですよね。

 

──演奏面の多様さがサポートの人の多さにも表れていると。

 

角谷:でも、サポートの人は僕らの通ってきた音楽を通ってなかったりするんですよ。だから共通点を探すというか、例えばドラムの人がスティーヴ・ガッドとか、ジェフ・ポーカロが好きだったら、「それならこうやってみて!」とか。共通する音楽を聴いていない人でも、その人の感覚で消化していってくれるので面白いニュアンスになったりするんです。みんな結構新しい音楽を聴いているので、そういう所の面白さはありましたね。

 

キリンジのメンバーでもある千ヶ崎学(ba)さんがサポートで参加しているというのは、僕自身キリンジ好きということもあって驚いたんですが、どういう繋がりで参加が決まったんですか?

 

角谷:楽器の録音はできる限り自分でマイクを立てて録っているんですけど、ドラムを自分で録音するのが不安だったので、東京のしっかりしたレコーディング・スタジオで録りたいと思っていたんです。でも、大阪で声をかけたサポートの人に東京まで移動してもらうお金がない。だから「東京で僕らの音楽性に合うミュージシャンはいますか」って感じで色々集めてもらったんですが、そこに千ヶ崎さんの名前があったんですよ。最初は「えっ?」って(苦笑)。お会いしたら、僕が何を言うでもなくすんなり「こんな感じね」って弾いていただけて。最後は「ずっと音楽続けていってください」と言ってカッコよく去っていかれました(笑)。本当に名前も知らないような無名のインディーズ・バンドなのに、嫌な顔ひとつせずにやっていただいて。……器のデカさを感じました。

 

──そのレコーディングの時に東京に行ったのは角谷さん1人?

 

角谷:僕と桶田くんですね。他にもシーナアキコ(rhodes)さんとかヤマカミヒトミ(sax)さんとか、越智祐介(dr)さんなどに参加していただきました。みなさん僕らより10歳以上歳上なんですけど、本当に人柄がものすごく良くて、もちろん僕らのやりたい音も理解していただけて。僕らだけでやってるとイメージを形にするのに時間がかかるんですけど、みなさん何も言わずにさっと演奏されるんですよ。大阪のサポートの人に「東京の人はこんな感じだったよ」って伝えると、「マジかよ……俺たちも頑張らないと」って連鎖反応があったりしましたね。

 

──その後は東京で録ったものと、大阪で録ったものとをデータでやりとりして。

 

角谷:そうですね。最初は大阪で録ったものも全然自信がなかったんですけど、案外「録り音良いよ」って言われて。「風色メトロに乗って」と「ピクニックは嵐の中で」はドラムも大阪で録ったので、ちょっと音が違っていて、若干濁った感じです。大学の練習スタジオで録ったんですけど、その雰囲気は出たかなって。

 

いいですね、そういう裏話は。ところで、全曲作詞は男性陣じゃないですか。いえもとさんはヴォーカルとして、詞を書かせてほしいというのはなかったんですか?

 

角谷:「書いて!」って時はありましたけど。

いえもと:そういう気持ちはありますけど、得意ではないので……。

 

──これまで歌詞はほとんど書いたことがない?

 

いえもと:完成させたのはほとんどないですね。

 

収録曲すべてが「あなたとわたし」の話じゃないですか。男性視点のものもあれば、女性視点のものもある。特に男性視点のものを歌う時なんか特別な感覚があったりしませんでしたか?

 

いえもと:うーん……。

角谷:よく「この登場人物はどんな人なの」って訊かれますね。その登場人物の感覚で歌ってくれていると思うので。やっぱりちょっとずつ声が違うんですよ。

いえもと:フフフ(笑)。

 

今回のアルバムを聴いて、メジャー流通でもない1stでいきなりあれだけのストリングスのアレンジがあって、管楽器が入ってというのもまたすごいなと思ったんです。アルバムを作る上での狙いはどういうものだったんですか?

 

角谷:漠然とした目標は、長く愛され続ける音楽。時代に残っているようないつ聞いても色褪せないものを作りたいねっていうのがあって。'70年代から'80年代初頭の楽器の響きが好きで、その辺りの音色に近づけたかったんです。結局ほぼ趣味みたいな感じになっちゃったんですけど(苦笑)。まさかこんなに聴いてくれている人が多いというのは驚きました。

桶田:フフフ(笑)。

角谷:Web Vandaでウチ(タカヒデ)さんに色々書いていただいているんですけど、ああいう風に、例えばアル・クーパーの「Jolie」のオルガンの引用だとか、~っぽいとか、聴いている人が元ネタみたいなものを分かるように今回はやってみたかったんです。曲作りでは大滝詠一さんの分母分子論を参考にしていて、それを今の録音環境でやってみるとどういう音に仕上がるのか、という実験でもあったんですよ。

 

 

 

 

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ウワノソラ インタビュー #2

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インタビュー中にお邪魔した奈良のレコード店「ジャンゴ」にて。

 

 

──皆さん大学では音楽を専攻されていたということなんですが、大学の音楽学科というと、かなりその先に影響する進路じゃないですか。みなさんはどのタイミングで「音楽やりたい!」という気持ちになったんですか?

 

いえもと:(角谷さんに促されて)えっウチから?

角谷:いや、そういえば聴いたことないなと思って。

いえもと:……なんですかね。中学校から高校に上がる時に単純に「勉強したくないな」と思ったんですよね。高校ではいくつかコースが選べて、その中に音楽コースがあったんです。音楽の経験は小学校~中学校手前くらいまでピアノを習っていた程度なんですけど、まあ歌うのは好きやしって感じで音楽コースを選んで。で、大学どうしようかって時に、大学も歌で行こうと思って音楽学科に入ったんですよね。

角谷:僕は音楽家を目指していたというか、未だにわからないんです。もともと普通の大学に行って勉強しようと思っていたんですけど、高校を卒業してからの2年間は何もしていなかったんですよ。全てのやる気が起きなくなって。当時神奈川に住んでいたんですけど、もともと四国辺りに憧れていて、南の方に行きたいなっていうのはあったんです。そうしているうちに今の大学を見つけて入学したんですけど、最初は2年くらいで神奈川に帰ってもう一回やりなおそうと思ってたんですよ。そしたら今まで居続けちゃったという(笑)。ガッツリ音楽で行くぜって気持ちは全然なかったですね。

 

──桶田さんはいつごろ音楽をやろうと思ったんですか?

 

桶田:中学2年くらいですね。僕がめちゃくちゃ小さい頃から、アングラフォーク、中川イサトさんとか、西岡恭蔵さんとか、あの辺りを父親が家で流していた記憶があるんですよ。父親はギターも弾いていたので、それの影響とまでは言わないですけど、いつでも弾ける場所にギターはあったんですよね。自分もエレキ・ギターを中学2年くらいに買って。……高校1年の終わりくらいの頃に、テレビで奥田英朗さん原作の『イン・ザ・プール』を見て、そのエンディング曲がシュガー・ベイブだったんですよ。それを聴いて「これや!」みたいな。

角谷:「DOWN TOWN」ね。

桶田:そう「DOWN TOWN」。ラストシーンが大滝詠一の「ナイアガラ・ムーンがまた輝けば」で、その流れを聴いてグッときたんですよね。今の形があるのはそれを観たからだと思うんですよ。

 

僕の場合なんですけど、思春期にミュージックステーションとか、そういう音楽番組が全盛で、毎週見ておかないと学校で話題に入れないというのがあって、押し付けられるようにいろんな曲を好きになっていった記憶があるんです。それが桶田さんの場合は、小さい頃からお父様の影響で、しっかりした音楽の基盤みたいなものがあったということですよね。誰かに強要されたような気分ではないというか。

 

桶田:でもバンドをやり始めたきっかけはBUMP OF CHICKENなんですよ。初めて買ったCDも確かそうでしたし。それからは色々と手当たり次第、例えば4人組のバンドと条件を決めたりして、片っ端から聴いたりしていたんです。すると、くるりとかを聴くと細野晴臣とか、そういう名前が出てくるのでまた聴いて……そうやって幅を広げているうちに、今思えばなんですけど、だんだんとティン・パン・ファミリー寄りのものが好きになっていったんですよね。そういう所から入っていったんですけど、それぞれルーツがものすごいじゃないですか。例えばシュガー・ベイブにしても、ユーミンの初期のアルバムのコーラスをやっていたりとか。細野晴臣繋がりで西岡恭蔵の「ろっかまいべいびい」を知って、家に帰ったらそのレコードがあったりして聴いたりしていました。だから無理矢理聴こうというのはなかったですね。

 

早い段階で音楽に傾きかけていた2人(桶田・いえもと)と、なんとなくきちゃった角谷さん、という感じなんですね。

 

角谷:音楽自体はめちゃくちゃ好きだったんですよ。毎週音楽雑誌を読んだり、小さい頃から学校をサボってラジオを聴いたりしていたんです。

 

──そのラジオではどういう曲がかかっていたんですか?

 

角谷:スティービー・ワンダーの「Overjoyed」とか、ジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズの「Up Where We Belong」とかを聴いて「カッコいい!」って。そういう大人の世界に憧れていたんです。

 

桶田さんといえもとさんが邦楽をメインで聴いてきていたのに対して、角谷さんは洋楽フリークという感じですね。

 

角谷:僕も小学校の時には小室ファミリーとか、ミスチルとかスピッツを聴いていたんですけど、そういうのとは別でオールディーズとかが好きだったんです。コンピレーションを聴くとメロディーが良いものが入っているじゃないですか。ママス・アンド・パパスの「California Dreamin’」とかをずっと聴いていたんですよね。レッド・ツェッペリンやデイヴィッド・サンボーンとかも……あんまりどれか一つに傾倒するっていうのがなくて、そういうのが小学校の頃に全部一気に入ってきちゃったんですよ。中学生になるとだんだん自分の趣向が分かってきたんです。「俺はどうやらAORってジャンルが好きらしい」って(笑)。それでタワーレコードに行って、フィニス・ヘンダーソンの『FINIS』ってアルバムとか、ジミー・メッシーナの『OASIS』みたいな、海辺っぽい大人の感じに憧れていたんですよね。今はロードショーって廃れちゃったけど、その当時はロードショー時代が生きていた感じがするんですよ。そこで例えばターミネーターでシュワちゃんがバーに行ったときにかかっている音楽とか、車で飛ばしているときの音楽とか、そういう'80年代の世界がすごくカッコ良かったんですよね。ずっと憧れていたんです。

 

──いえもとさんには、具体的な名前でこれがきっかけ、というのはありますか?

 

いえもと:うーん。……中学の時とかはずっとクラシックバレエをやっていて、バレリーナになりたかったんですよ。なのでバレエ音楽ばっかり聴いていたんですよね。

 

そんな過去があったんですか……! でも、それが高校受験で進路を迫られたときに、グッと音楽の方へ傾くわけじゃないですか。

 

いえもと:この人に憧れてというのは特にないんです。初めて人前で歌った曲は、高校受験のときの課題曲だった夏川りみさんの「涙そうそう」だったのは覚えているんですけど。……やっぱりお父さんがユーミンを好きで、よく一緒に聴いていたのはありますね。でも、ユーミンばっかり聴いていたというわけでもないですし……。

角谷:安藤裕子は?

いえもと:安藤裕子も大学入ってから好きになったしなあ。どちらかと言うと、女性の声よりは男性の声の方が面白いなと思っていたんです。具体的に誰というのは……やっぱり思い浮かばないですね。 

 

でも、やっぱりユーミンという名前が挙がるだけで、みなさんのバックグラウンドにゆったりと繋がるものが見えたように思います。

 

 

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ウワノソラ インタビュー  #1

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左から角谷博栄(gt,songwriting)、いえもとめぐみ(vo)、桶田知道(gt,songwriting)

ウワノソラ Official Web Site(http://uwanosoraofficial.wix.com/uwanosora

 

 

 関西在住の僕がシティ・ポップという言葉を初めて聞いたのは、ちょうど地元の奈良から大阪の大学へ通い始めた頃だった。“シティ”という響きにいまいちピンと来なかったのは、“シティ=東京”というイメージを持っていたからだろう。身近には対抗都市としての大阪があったが、それは決して“シティ”と呼べるような洗練されたアーバンなイメージはなく、無理矢理栄えさせたようにごった返した急造の“地域”にしか思えなかった。ただ、その違和感が“シティ”に対する憧れのようなものを引き起こしていったのも事実で、ある程度大阪という街を知り、「東京はどんなところなんだろう」と想像を膨らますにつれ、音楽の趣向もシティ・ポップへと寄り添うようになっていった。またそれと同時に、頭の奥底では「シティ・ポップは東京近郊に住まないと分からないのではないか」という、悔しさにも似た疑問が肥大してゆくのも感じていた。

 

 個人的に興味をもった人にインタビューしたり、音楽について書いたりする当ブログ『FUKUROKO-JI』。初回を飾る関西在住のウワノソラは、角谷博栄(gt,songwriting)、いえもとめぐみ(vo)、桶田知道(gt,songwriting)によるトリオ・バンドだ。2012年11月の結成からわずか2ヶ月ほどの期間で8曲入りのデモ(未発表)を制作し、今年7月に初の流通盤である1stアルバム『ウワノソラ』を、ハピネスレコードよりリリースした。
 僕が彼らの存在を知ったのは、奈良のレコード店「ジャンゴ」店主の松田さんが、ツイッターで『ウワノソラ』を絶賛されていたのを見たことがきっかけだ。早速手に入れて聴いてみると、インディーズ・バンドの1stアルバムとは思えないその楽曲/アレンジの素晴らしさに打ちのめされた。ぜひ彼らの曲作りやアルバム収録曲について聞きたいと思い、ダメで元々、インタビューの依頼を出したのだが、もちろんその裏では、東京近郊以外の地域からシティ・ポップを発信した彼ら自身について知りたいという下心があったのも付け加えておく。
 今回は、去る9月2日に行なった彼らの初となるインタビューの模様を、数回にわたってお届けする。最終回にはインタビュー当日に挨拶も兼ねて伺った「ジャンゴ」松田さんと、居合わせた常連のお客様からいただいたコメントも掲載予定。また、『ウワノソラ』収録曲についてはWebVANDAウチタカヒデさんがかなり詳細に考察されている。ぜひそちらもご参考いただければ幸いだ。

 

どこに住んでいようがこの3人が集まっていたらこういう音楽をやっていたと思います。(桶田)

 

──まず、バンド結成に至った経緯を教えていただけますか?

 

角谷:もともと桶田くんとは大学ですごく仲が良くて、教職の授業で出会ったんだよね(笑)。山下達郎さんのRCAのライヴ(PERFORMANCE 2002 RCA/AIR YEARS SPECIAL)のパーカーを着て授業を受けていたら、桶田くんが「山下達郎好きなの?」って声をかけてくれたんです。話していくうちに音楽の趣味が似ていることが分かってきて。
桶田:フフフ(笑)。
いえもと:私は2人と面識はなかったんですけど、大学のオープンキャンパスのステージに出るための音源審査があって、それ用に録っていたepoさんの「キミとボク」を歌ったデータを聴いて2人が誘ってくれたんです。
角谷:他にもいろんなヴォーカルが候補に挙がっていたんですけど、R&Bみたいにしゃくったり、黒人っぽい歌い方をする人が多かったんです。いえもとさんはその中で一番フラットでピュアだったし、ソプラノっぽい声が欲しかったのでピッタリだったんです。

 

──メンバーは最初から3人で固まっていたんですか?

 

いえもと:いや、最初は、なんかもっといっぱい人がいたんですよ。
角谷:大学で一緒だった友達と、卒業の記念に作品を作ろうって集まったんです。もともとは友達連中で1人の女の子に歌ってもらって、作品集を作りたいねって感じで。最初は桶田くんがアレンジャーとして君臨していたんですけど……。
桶田:なかなか進まず……(苦笑)。
角谷:いえもとさんにも声をかけていたのに、何も進んでいなくて申し訳なくなってきて、2012年の11月に「僕がアレンジャーやるから」って言って曲をみんなから集めたんです。その中でもあんまり気に入らないというか、そういう曲は作家に「これはできないよ」って言って。そうしていくうちに残ったのがこの3人だったんです。

 

──もともとは気軽な記念のつもりだったのに、曲を集めた段階でダメ出しをしたんですか。

 

角谷:やっぱりこだわってやりたかったんですよ。最初に作ったデモで終わらせるつもりが、納得いかなくて今回の『ウワノソラ』を作ったので。
桶田:メンバーが3人で固まってから、すぐに角谷さんの家に2週間泊まりこんでデモの曲作りをしたんです。

 

──そのデモというのは、「Umbrella Walking」などが収録されているものですね。結局、未発表になったということなんですが……。

 


ウワノソラ - Umbrella Walking - YouTube

 

角谷:それぞれの曲のルーツがバラけていて、カントリーもあり、ジャズっぽいのもありで、バラエティーに富みすぎてて、1枚のものとして聴きたくないなと思ったんです。
桶田:まったく流通とかも考えていなくて、とりあえずしっかりした形に仕上げたいという所で止まっていたんですよね。
角谷:デモの録音が終わった後、ミックスとマスタリングは東京でいい感じに仕上げてくれる人にお願いしたいねって話をしていて、流線形のCDの裏に書いてあった番号に電話をしてみたら、それが『ウワノソラ』をリリースしたハピネスレコードさんだったんですよ。そこでハピネスさんが「もうちょっと方向性を揃えたのができたらうちで出してよ」って言ってくださったので、今回の『ウワノソラ』の曲作りを始めたんです。レコーディングが長引いちゃって、結局このタイミングになっちゃったんですけど。

 

──『ウワノソラ』収録曲が出来上がったタイミングはいつだったんですか?

 

角谷:曲作りは2ヶ月で終わったので、2013年の2月には揃っていましたね。

 

ということは、2012年の11月にデモを作り始めて、3ヶ月後には『ウワノソラ』の曲も完成していたんですか……。とんでもなくハイペースだと思うんですが、実際『ウワノソラ』はレコーディングもろもろでその後1年半ほどを要して、今年7月のリリースになったということですね。

 

角谷:サポート・ミュージシャンが多いので、日程とかがなかなか合わなかったんですよね。
いえもと:でも歌録り自体は今年の1月末には終わったよね。
角谷:そうだね。そこからリリースまでが本当に長かった……。なので、今出している曲は結成から半年くらいで作った曲ばかりなんですよ。

 

──ちなみに、バンド名ってどういう風に決まったんですか?

 

角谷:これはいろいろあって……。去年ルルルルズさんと対バンがあって、それまでにバンド名を決めなくちゃならなくて。

 

──その段階では決まってなかったんですか。

 

角谷:決まってなかったですね。色々書き出して、流線形のクニモンド(瀧口)さんにも相談したんですけど、「“冷やし中華はじめました”にすればいい」って言われて、僕も「それ良いですね」って言ってたらレーベルの人に「何言ってるんだ」って怒られて(笑)。結局松本隆さんの小説の『風のくわるてつと』から「うわのそら」って単語を取ってきたんです。いえもとさんが「それを全部カタカナにしたら、字面がカタカナのノが並んでいるように見える」って言って、それ面白いじゃんって。

 

あ、確かにそう見えますね、面白い。音楽的にはシティ・ポップっぽいと言われると思うんですが、あまりこういう音楽を関西で、しかも若い人となると、最初はイメージが余り湧かなかったんです。

 

桶田:土地柄のイメージっていうのは、やっぱりライヴのシーンだと思うんですよ。その土地土地でライヴのシーンがあると思うんですけど、僕たちはあまり外に出ないグループなので、周りの流れに影響されない、好きなモノがズレないというか。だから、どこに住んでいようがこの3人が集まっていたらこういう音楽をやっていたと思います。

 

 

 

 

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